チャイコフスキー/「四季」 あれこれ

2007.12.31 Monday

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     2007年も残すところあと1日を切りました。
     今年の「聴き納め」を何にするかはまだ思案中ですが、私は最近、チャイコフスキーの「四季」をよく聴いているので、個人的にはいろいろあった一年をこの曲で締めくくるのも良いかなとも思っています。

     チャイコフスキーの「四季」は言うまでもなくピアノ独奏曲ですが、今までは、以前このブログで取り上げた弦楽合奏版しか聴いたことがなかったので、最近、ようやくピアノの原曲を聴いてみたらとても気に入りました。そして、さらにいくつかの編曲版も気になってCDを入手し、あれこれ聴き比べをしました。

     以下が私が新たに聴いたCDです。

    原曲ピアノ版:ウラジーミル・トロップ(p) 
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    ガウク編曲管弦楽版:スヴェトラーノフ指揮ソ連国立響 
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    ガウク編曲管弦楽版:ネーメ・ヤルヴィ指揮デトロイト響 
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    ブレイナー編曲Vn&オケ版:西崎(Vn)ブレイナー/クイーンズランド響 
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    ベコヴァ・シスターズ編曲ピアノ三重奏版:ベコヴァ・シスターズ 
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     いずれの版も、曲の持ち味を良く生かした編曲がなされていて魅力的でした。

     ガウク編曲のオケ版は多彩な「音色感」が特徴で、賑やかな曲では打楽器も活躍しますが、静かな曲では愁いを帯びた甘美な響きをじっくりと聴かせてくれます。特に、私の偏愛する「秋の歌」の深い味わいのある音色感はとても心に沁みます。スヴェトラーノフはその音色感を非常に濃厚な「ロシア」色に染め上げて聴かせてくれます。ヴィヴラートのたっぷりかかったホルンの弱奏などがその顕著な例です。
     一方のヤルヴィの演奏は都会的な洗練された演奏で、繊細な歌い口が印象的ですが、どちらかといえばスヴェトラーノフの「憂愁」の方に強い魅力を感じます。

     次に、聴く前はゲテモノかと思われたヴァイオリンとオケの版は、協奏曲風に独奏楽器とオケが拮抗するのではなく、まるで歌とその伴奏のような趣。無言歌を聴いているような気がして違和感はなく、その奥ゆかしさに好感がもてます。西崎のヴァイオリンも味のある歌い口でしっとりと聴かせてくれます。

     ピアノ三重奏版は、原曲が暖炉の前でおじいちゃんの昔話を聞いている風景だとすると、こちらは暖炉の前で友人が集まって語らっているような風景とでも言えそうな気がします。ピアノの旋律がヴァイオリンとチェロに割り振られていて、あたかも「対話」になっているのです。三姉妹によって奏でられるインティメートな音楽の対話、聴いていて温かい気持ちになります。

     そして、最後に原曲のピアノ版。
     知人に薦められたトロップのCDを聴いてみましたが、とても素晴らしい演奏だと思いました。とろけるような甘い音色と、柔らかく包み込むような優しいタッチが印象的です。
    これこそ、暖炉の前で含蓄のあるお話を聞かせてもらっているような気分にさせてくれます。

     今年の最後、どの「四季」で一年を振り返ることにしようかと、集めたCDを目の前にして楽しみつつ迷っているところです。

    気になる演奏家 その1 〜 エーノッホ・ツー・グッテンベルク(指揮)

    2007.12.27 Thursday

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       ドイツの指揮者エーノッホ・ツー・グッテンベルクと言っても、日本では無名な指揮者と言っても良いのかもしれませんが、それでも、彼が1990年代にBMGに録音したバッハの受難曲の録音や、自ら1997年に結成したクラング・フェアヴァルトゥング管弦楽団等との、FARAOレーベルへの宗教音楽の録音などで「知る人ぞ知る」存在ではあります。

       私は、彼の指揮した2度の「マタイ受難曲」のCDがとても気に入っています。モダン楽器で比較的大編成のオケと合唱を用いた1990年にミュンヘンで録音した旧盤は、彼の地で活躍したリヒターの衣鉢を受け継いだような重厚でロマン的とも言える演奏で、特に合唱が非常にマッシヴな響きを聴かせ、「民衆」が主役の「マタイ」でした。
       一方、2003年に再録音した盤は、古楽器奏法を用いた小編成のオケと合唱で、非常に速いテンポで鋭角的なドラマを生み出しており、旧盤とは全く別人のような音楽です。これらのまったく方向性の違う解釈が、同じ人の棒から生まれてくるのはとても興味深いですが、その両方の演奏で、たとえ音楽のスタイルはまったく異なっていようとも、「マタイ」の物語性に淫したり感情に溺れたりすることなく、常にとても醒めた感覚で音楽を客体化して音楽の本質を把握した上で、「このような演奏でなければあり得ない」というほどまでに切実な厳しさを感じさせる、という点では共通しているように思えます。だからこそ、戸惑うこともなくこの2つの演奏を味わうことができるのだろうと思います。

       バッハの音楽で、ここまでの演奏をできるというのは、やはりなかなか凄い力をもった指揮者なのだろうと思います。

       また、クラング・フェアヴァルトゥング管弦楽団と録音した、バッハの「クリスマス・オラトリオ」、モーツァルトの「レクイエム」、ベートーヴェンの「エロイカ」など、いずれも同傾向の厳しさを感じさせる名演だと思います。ブルノ・フィルを指揮した「ドイツ・レクイエム」も、冒頭の合唱があまりに繊細で美しく、この世のものとも思えないほどです。どうしてこれらのCDがあまり話題にならないのか不思議なくらいです。

       前記のクラング・フェアヴァルトゥング管弦楽団は、グッテンベルクの音楽哲学に共感して集まったプロの集団で、「グッテンベルク記念オーケストラ」みたいなものだそうで(あのペーター・ザドロも在籍したことがあるとか・・・)、かなりカリスマ性のある、魅力的な指揮者でもあるようです。また、インタビューを読んでみたりしていると、主張のはっきりした人のようで、「メンデルスゾーンみたいなオ●マ野郎」なんて暴言を吐いたりしてます。この人のパーソナリティがどんなものなのかもとても興味があります。

       さて、そのグッテンベルクの1年ぶりの新盤は、クラング・フェアヴァルトゥング管を指揮した、ブルックナーの交響曲第4番のウィーン楽友協会でのライヴ録音なのだそうです。しかもそこでは、悪名高いレーヴェの改訂版が用いられていると言うことで、一体どんな演奏が繰り広げられているのか、聴くのがとても楽しみです。

       グッテンベルク氏、多分まだ日本には来ていないはずです。ドイツでは、お得意のバッハやハイドン、ヴェルディの宗教曲のみならず、マーラーの4番だとかショスタコの「バビ・ヤール」なども振っているそうで、CDリリース、日本への招聘、どこかで誰かがやってくれないかなと願ってやみません。大ブレイクするかもしれませんよ。

      クリスマスに聴く「スマイル」

      2007.12.23 Sunday

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        チャップリン/映画「モダンタイムズ」よりスマイル
        カール・ディヴィス指揮ベルリン・ドイツ交響楽団

        詳細はコチラ

         クリスマスです。
         私はキリスト教とは無縁の人間ですが、巷に溢れる「クリスマス」の洪水に、何となく気分が浮き立ってしまいます。プレゼントなんて誰もくれないのに。

         それで、今年のクリスマスに聴きたい音楽は何かなぁと考えていたら、「心があったまって希望が持てるような曲が聴きたい」と思いました。きっと、そう思うような精神状態なんでしょうね。

         そこで思いついたのがチャーリー・チャップリンの映画音楽です。
         いろんな名曲がありますが、映画「モダンタイムズ」のスマイルを聴きたいなあと思います。

         名曲と呼ばれるだけあって、幅広いジャンルの名手がこの曲を演奏していて、私が持っているCDでも、ギドン・クレーメルがヴァイオリンで弾いた演奏もあれば、バーブラ・ストライザンドやナット・キング・コールが歌ったものもあれば、先日ブログで取り上げた純名りささんが歌ったものもあります。

         ですが、今年のクリスマスには、チャップリンの映画音楽のサウンドトラックのスコアを、現代のオーケストラでほぼ忠実に再現して演奏した、カール・ディヴィス編曲・指揮ベルリン・ドイツ交響楽団のCDを聴こうかと思います。

         このディスクの「モダンタイムズ」の映画音楽の中には、2つのバージョンの「スマイル」が収められていますが、やはり、あの感動的なラスト・シーンに流れる「スマイル」を聴きたいと思います。行く末を案じて絶望する少女に「笑って!」と笑顔を見せるチャーリーの笑顔を思い出しながら、自分が他の人に笑顔を見せられるようになりたいです。

         そう言えば、年末には新宿でチャップリンの映画が上映されるとか。慌しい時期だし、どれもDVDで持っているので行くのは諦めましたが、ああ、また映画館でチャップリンの映画を見たいです・・・。

        蛇足:
         このCDには他に「黄金狂時代」「キッド」「街の灯」「サーカス」の音楽も収録されています。「キッド」でチャーリーが孤児を連れ戻すシーンでの音楽や、「街の灯」の花売り娘のテーマも映画のシーンを思い出させて胸にじ〜んと響きます。また、「黄金狂時代」の例のロールパンのダンスシーンや「サーカス」の音楽などは、まるでショスタコの映画音楽を聴いているかのような楽しさ、チャップリンの「メロディメーカー」としての力量を実感できるアルバムです。

        カツァリス 「フレンチ・ミュージック」

        2007.12.22 Saturday

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           以前、「フランス料理みたいな熱いか冷めてるか分からんようなモン食えるか!」と言った人がいました。私はフランス料理は滅多に食べないので、そんな啖呵をきるほど好きも嫌いもないのですが、まあ気持ちは分からんでもないなあと思ったのを覚えています。そう言えば、フランス料理を食べて舌をやけどしそうになったことないし・・・。

           しかし、フランス料理についてちょいと調べてみますと、フランス料理においては、まさにその「熱いか冷めてるか分からない」こと、つまり、「熱すぎず冷たすぎず」が美徳なんだそうです。料理をちょうど良い温度にすることで、味と香りが広がりやすいからというのが理由らしい。確かに、熱すぎたり冷たすぎたり、食べ物の温度が極端だと味や香りは犠牲になりますね。

           ・・・というようなことを、シプリアン・カツァリスの新盤「フレンチ・ミュージック」を聴きながら思い出しておりました。

           カツァリスの1967〜2001年のライヴ音源からフランス音楽のみを集めたこのアルバムは、およそ400年にわたるフランス音楽の歴史を2時間余りで辿れるようになっていて、ルイ13世の書いた「汝、太陽を信ずる者」に始まり、リュリやラモーの音楽を経て、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、プーランク、更にブーレーズの音楽まで網羅しています。また、ピアノが開発される以前の曲は勿論ピアノ用に編曲されていますし、国歌「ラ・マルセイエーズ」はリストの編曲版にカツァリスが加筆したものを弾いていたり、ピアノ以外の曲から編曲されたものも混じっていて、とても多彩な選曲になっています。

           これらの演奏を聴いていて感嘆したのは、カツァリスの紡ぎだす音楽が、まさに「熱すぎず冷たすぎず」というべき温度を持っていて、それぞれの曲の持ち味を存分に楽しませてくれているということです。どんなに難しい複雑なパッセージも熱くならず事も無げにさらっと弾いてのけたり(リスト編の「ラ・マルセイエーズ」やブーレーズの「ノスタシオン」)、どんなに甘く美しいメロディも感情過多にならず詩情を湛えつつ格調高く歌ったり(「タイスの瞑想曲」や「夢のあとに」、プーランクの「エディット・ピアフへのオマージュ」など)、どんなに微細な音も決して疎かにせず内声の動きをはっきりと際立たせて聴かせてくれたり(サン=サーンスの「白鳥」や「亡き王女へのパヴァーヌ」など)、そんな彼の一流の「料理法」のおかげで、音楽の「構造」が透けて見えて見通しが良くなり、音楽が内包するいろいろな「味や香り」を楽しむことができるのだろうと思います。

           中でも、プーランクの「愛の小道」やフォーレの「夢のあとで」、ラヴェルの「亡き王女へのパヴァーヌ」と「道化師の朝の歌」などが特に気に入りました。(10代の頃に録音された「道化師」の正確無比な連打音は凄まじいばかりです。)高度に洗練された音楽であっても、ただサラサラ流れていくだけでなく、心のどこかに引っかかる何かを必ず聴かせてくれるのがいいです。

           曲によって録音の状態にムラがあり、しかもライヴで物理条件の制約もあるため、ナマで聴いた彼の音に比べて少し平板な印象を受けるものもありますが、それでも、超絶技巧の持ち主にして心優しき詩人カツァリスがシェフとして出してくれた、フランス音楽版「満漢全席」ともいうべき多彩なメニューを楽しむことができました。満腹感よりも満足感が大きいのは、素材の良さもあるんでしょうね。

           カツァリスのナマをまた聴きたいなと思います。

          シュトゥップナー/タイタニック号でのマーラーの夜会 1912.4.14 

          2007.12.20 Thursday

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            シュトゥップナー/タイタニック号でのマーラーの夜会 1912年4月14日
            プロメテオ弦楽四重奏団

            ⇒詳細はコチラ

             クルサーク、ロットに続くマーラーの「周辺」の音楽です。
             今日は、フーベルト・シュトゥップナー(1944年イタリア生まれ)の作曲した、"Eine Mahler-Soiree auf der Titanic am 14. April 1912"、「タイタニック号でのマーラーの夜会 1912年4月14日」という曲です。1998年に作られた曲で、上記CDは2001年のトブラッハでのマーラー音楽祭でのライヴです。

             さて、この妙ちくりんな曲のタイトルの由来ですが、イタリア人作曲家シュトゥップナーは、タイタニック号、そう、あの沈没したタイタニック号に乗り合わせた乗客たちが、沈没の数時間前、船内で催されたマーラー一周忌のサロン・コンサートに招待され、音楽に合わせて踊っている、そんな場面を思い描いて書いた曲なのだそうです。

             曲自体は、全部で4曲からなる20分ほどの短い音楽ですが、「巨人」の第1〜3楽章や、「亡き児を偲ぶ歌」、「角笛」の「魚に説教する聖アントニウス」など、マーラーの音楽のメロディーを現代風にアレンジしつつ次々にメドレーで聴かせ、しかもタンゴやフラメンコなど踊りのリズムを絡めてパロディしているものです。聴いていると、やけにグリッサンドが多用されていて「船酔い」しそうになりますし、「亡き児」の旋律がタンゴのリズムに乗って奏でられるなど、本来は深刻な趣の音楽が、何やらちょっと酔っ払ったような、どこか楽しげな音楽に変身しているのが面白いです。

             そもそも、こんな発想で音楽を書くなんてイカレてるとしか言いようがありませんが、私は、こんなアホなことに情熱を傾けるシュトゥップナーという人が大好きです。こんなふざけた音楽も、ほほえましく思えてきます。

             このテのマーラー・パロディとしては、ユリ・ケインのものと並び秘かな愛聴盤です。

             そして、このシュトゥップナーという御仁、最近「大地の歌」のパラフレーズも書いたようで、よほどマーラーの音楽が好きなんだろうなあと思います。一度聴いてみたいです。

             また、私は、この人の書いた「エクスタス&ニルヴァーナ」という曲のCDも持っています。これはワーグナーの「トリスタン」のパッセージを延々弦楽器で緩く鳴らし続ける、
            これまたイカレた曲で、以前は全然面白くなかったのですが、歳をとったせいかこの緩さ加減がとても気持ち良く、見直したところです。この作曲家の音楽、もう少し聴いてみたい気がします。

            <<追記>>
             上記のCDは2枚組になっていて、カップリングとしては、最近、Antesレーベルから突如ブルックナーの交響曲全集がリリースされた、ロベルト・パーテルノストロが指揮したマーラーの9番が収録されています。オケは14〜20歳の少年少女で結成されたユース・オーケストラで、これがなかなかプロ・オケもたじたじになるようないい演奏です。恐らく「死」の想念とはほぼ無縁の彼ら彼女らの「音」には違いないですが、音楽を愛する真っ直ぐな気持ちが込められていて胸を打ちます。・・・でも、HMVのサイトでは入手困難とありますねぇ・・・。

            ドストエフスキー・コンサート

            2007.12.19 Wednesday

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               光文社の古典新訳文庫から出たドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」(亀山郁夫氏訳)、何と50万部ものベストセラーになったそうです。

               かくいう私も20年ぶりに再読するぞと意気込んで購入していたのですが、長いこと読めずに放置した期間もあったりして、ようやく先日読了しました。亀山氏の「やわらかい」訳のせいか、以前読んだものよりもとても読みやすく、不朽の名作をより身近に感じながら、しかし、その筆致の凄みに圧倒されつつ楽しみました。

               その後は、亀山氏や故江川卓氏のドストエフスキー関連の書籍を読んだりしていて、私の中では大学生の頃以来のドストエフスキー・ブームになっています。

               今日は、私はドストエフスキー絡みの音楽のCDをいくつか聴いています。曲目と演奏は以下のようなものです。

              ・ヤナーチェック/歌劇「死の家の記録」序曲
               サー・チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィル(Decca)
              ・レズニチェク/幻想序曲「ラスコーリニコフ」(「罪と罰」)
               ミハイル・ユロフスキ指揮WDRケルン放送響(CPO)
              ・ブラッヒャー/オラトリオ「大審問官」(「カラマーゾフの兄弟」)
               ニムスゲルン(Bs)/ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィル(Ars Viviendi)

               このうち、ブラッヒャーの曲についてだけコメントを載せておきます。

               「大審問官」は、「カラマーゾフの兄弟」の第5編「プロとコントラ」の中で、カラマーゾフ家の次男イワンが、三男アリョーシャに語る「作り話」です。あらすじは、中世セビリアを舞台に、当時民衆を統治していた教会の最高権力者の大審問官が、復活したイエスと思しき男を捕まえた挙句に、人間に自由を与えた「彼」を非難し、自分たち教会の権力者のみが人間を正しく統治できるのだと糾弾するというもの。「カラマーゾフ」の中では、登場人物イワンの「無神論」の思想を象徴するだけでなく、物語の核心である「父殺し」と深く関わる思想を含んだ章として重要な役割を果たします。

               このオラトリオ「大審問官」は、1942年ナチ統治下のドイツで書かれた曲で、台本は指揮者のレオ・ボルヒャルト(戦前ベルリン・フィルをよく指揮した人)。ストーリーは原文をほぼ忠実になぞりながら合唱で語られていき、「復活した」イエスを激しく糾弾する大審問官の台詞をバスが歌います。

               原文は結構ナマナマしい感情の起伏や、民衆の描写があってドラマチックですが、「これはオペラではなくてオラトリオなのだ!」ということでしょうか、曲はどちらかといえば室内楽的な趣で、曲調も柔らかく聴きやすい音楽になっています。

               特に印象的なのは、最後の第14曲です。散々非難された「イエス」が大審問官に謎のキスをした後、大審問官が苦しげに「出て行け!二度と現れるな!」と戒めるあたり、フルートの長く美しいソロと、マーラーの8番の第2部冒頭のような呟きの合唱が、何とも言えず荒涼とした雰囲気を醸し出していて、思わず寒気がします。肩を落としてトボトボと去って行く寂しげなイエスの姿を見るようです。

               全体を聴いていて、作曲者ブラッヒャーは、激しい言葉を発する大審問官よりも、何も言わないイエスの方に感情移入したのかなあ・・・という気もするのですが、それよりも、この曲を書いた意図は、大審問官を当時の総統になぞらえて社会批判をしたのか、はたまた、果てしない戦争の不条理に「無神論」を唱えたくなったのか、あの世にいるブラッヒャーに聞いてみたい気がします。

               ケーゲルの指揮するオケ、合唱はとても美しい演奏をしています。ケーゲルがもともと合唱指揮者だったことを思い出させるような、とても細やかな合唱の扱いのおかげで美しいドイツ語がはっきり聴こえてきます。カラマーゾフ再読を機に十数年ぶりに聴きましたが良かったです。

               ・・・もし私が作曲家で「カラマーゾフ」を題材に音楽を書くとするなら、アリョーシャが大地にキスをして「復活」する場面を音楽にしたいです。大編成のオケで交響詩にするかなあ。オルガンも使うかなあ。

               そんな妄想はおいておいて、上記のようなプログラムで演奏会をやってくれるような酔狂なオケはないでしょうか・・・。

              ハンス・ロット/管弦楽のための組曲ホ長調

              2007.12.13 Thursday

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                ハンス・ロット/管弦楽のための組曲ホ長調
                アントニー・ヘルムス指揮ハーゲン・フィル


                 ハンス・ロット(1858-1884)というオーストリアの作曲家の名前は、ここ数年の間に日本でも随分と知られるようになってきました。それは、彼が残した交響曲がCDや演奏会を通して人気を博しているからです。

                 ロットの交響曲は、1989年、作曲後100年以上を経て再発見され初演された曲で、彼とウィーン音楽学院での同級生で下宿のルームメイトでもあった、グスタフ・マーラーの交響曲を先取りしたような楽想を多く含んでいます。いや、私はマーラーが第2,3,5番の交響曲でロットの楽想を「引用」したのだと考えています。

                 しかし、マーラーが本当に「引用」したかどうかはさておいたとしても、大編成のオケを用いたスケールの大きな「未来志向」の音楽は大変魅力的なのは確かで、だからこそこの曲が人気曲の仲間入りしつつあるのだと私は思います。

                 さて、ロットの交響曲はもう既に6種類のCDが出ているのですが、その他に彼が残した管弦楽曲や弦楽四重奏曲もちらほらとCD化されてきました。

                 今日取り上げるのは「管弦楽のための組曲」で、最近"初演"された時のライヴ録音です。

                 この組曲は、「前奏曲(遅すぎずNicht zu Langsam)」と「終楽章(ゆっくりLangsam)」の、2曲からなる約8分の短い曲で、1878年の作曲の実技試験のために書かれたものだそうです。

                 前奏曲は、ワーグナーの「神々の黄昏」の「夜明け」の冒頭の雰囲気を思わせるような曲で、管の霧のかかったようなハーモニーの中からチェロがのびやかに歌う旋律が立ち上って来ます。しかし、この旋律どこかで聴いたことがあるなあと考えてみると、何と、マーラーの交響曲第1番「巨人」の中の旋律とほとんど同じなのです。第4楽章の388小節でホルンが吹く"レーラーシーファ#ーソーファ#ミラー"がそれで、最後の最後、奏者が立ち上がって高らかに「勝利」を歌い上げるところです。偶然の一致とは思えない訳で、ああ、マーラーはこの曲も知ってたんだなあ・・・と思わずにはいられません。

                 さて、曲は、静かで厳かな雰囲気を持ったまま次の曲へと移行しますが、金管が堂々としたコラールを歌い上げてオルガンのような分厚い響きを作りあげていて、あの交響曲のフィナーレを彷彿とさせる雰囲気があり、なかなか魅力的な音楽です。勿論、全体にあくまで「習作」の域を出ない曲であるには違いありませんが、ロットという作曲家が、いかに魅力的な音楽的才能を持っていたのかということ、いかにマーラーに大きな影響を与えたかを実感させてくれる貴重な音楽だと思います。

                 ところで、このCDについてです。
                 CD発売元のドイツのAcousenseというレーベルからは、他に2枚のロットの作品のCDが出ていて、日本のCDショップでも入手可能ですが、何故かこのCDだけは輸入販売されておらず、私はネットショップを通じて購入しました。

                 それから、ロットの曲とカップリングされているのは御丁寧にもマーラーの「巨人」です。ただし、演奏されているのはハンブルク初稿版で、当然「花の章」つき。こうやってロットとマーラーを並べて聴けるのはとてもいい企画だし、演奏もなかなか熱がこもっていて、いい味を出してくれていて好感が持てます。(「巨人」のハンブルク稿は、今まで聴いた演奏(若杉、ルード)よりも好きです。)

                 このCDリリースを機に、この組曲もナマで聴きたいもんです!!

                クルサーク/マーラーの主題による変奏曲

                2007.12.12 Wednesday

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                  ヤン・クルサーク/マーラーの主題による変奏曲
                  リボール・ペシェク指揮プラハ交響楽団


                   チェコの作曲家クルサークという人に、マーラーの5番のアダージェットを素材にした、オーケストラのための変奏曲という作品があることは雑誌の記事で知っていました。その音源を何とか入手できないかと長年ずっと捜していたのですが、先日、たまたま立ち寄ったショップで偶然入手することができました。

                   この曲は、「セリエ技法を用いてアール・ヌーボーとモダンスタイルの発展的な結合」を目指し、1960年代初頭に書かれたとのこと、約20分、フルオーケストラで演奏されます。

                   件のアダージェットは、短い導入から数分してほぼそのままの形で数分演奏されますが、一区切りつくと、アダージェットの旋律やモチーフがどんどん変形され始めていきます。その過程で、ウェーベルンがよく使った点描法のような音空間へと変容したり、ペンデレツキの音楽のような特殊奏法が頻出する場面がでてきますが、なだらかな起伏を描きながら、マーラーの旋律が愛でるように「変奏」されていて、クルサークという人がマーラーの音楽を愛していることが感じらたように思います。セリエ技法に則った作品にしては、題材が題材だけにロマンティックな風情もあり、とても聴きやすい作品になっていて、私はとても気に入りました。

                   私がもし指揮者だったら、マラ5メインの演奏会の前プロでこれやります。マーラーの音楽は、現代作曲家の作品の中でかなり引用されているので、(ルジッカ、シュネーベル、リーム、トロヤーン、べりオ、シュトゥップナー等)そういう作品とセットでマーラー・チクルスをやるなんて企画、いいなあと妄想しています。

                   ところで、このCDに収められたペシェック指揮の演奏は、1968年8月末のものだそうです。つまり、チェコへのソ連介入のあった頃、「プラハの春」運動の終わりの時期。クルサーク自身の書いたライナーによると、この時期は「幸せな時期の終わり」なのだそうで、そんな時期にマラ5のアダージェットをモチーフにした音楽を演奏していた訳です。その時代の雰囲気が、この演奏のどこに反映されているのかは私には分かりませんが、ミラン・クンデラの小説でも読みながら聴けば少しは感じられるでしょうか。

                   貴重な音楽のドキュメントとしても価値のある録音ではないかと思います。今日エントリーしたCDに収録されている曲では、ヴァーツラフ・ノイマン指揮による「弦楽のためのインベンション」が美しい曲でした。クルサークは、近作のCDも他に出ていて「グリーグへのオマージュ」なんて曲もあり、いつかそのうちに聴いてみたいと思っています。
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