最近聴いたシューベルトのピアノ・ソナタのCDで特に印象に残ったものの感想をメモっておきます。今回はマイナー・レーベルのものを集めてみました。いずれもバーゲンで格安(50〜70%OFF)に入手したものです。
・第3〜7,9番:トゥルデリーゼ・レオンハルト(Jecklin)
グスタフ・レオンハルトの実妹トゥルデリーゼがハンマーフリューゲルで演奏したもので、Jecklinから2枚ずつ3巻で出ていた全集の第3巻を中古ショップで偶然発見しました。レオンハルトのシューベルトは、朝日選書「シューベルト」の著者、喜多尾道冬氏が音楽の友社のムックで推薦されていて気になっていましたが既に廃盤になっている模様なので狂喜乱舞して入手しました。古楽器を使用している以外は際立ったもののない演奏ですが、何とも親しげで柔らかい歌い口で、若き日まだ死の影を意識することのなかったシューベルトの青春の歌をみずみずしく歌い上げているのが心地よく、私の心にすうっと何の抵抗もなく入り込んできます。何度も聴いて味わいたい演奏です。今、Jecklinの第2巻と、彼女が最近再録音した第21番(Globe盤)をネットで注文中ですが、まだ音沙汰がありません・・・・。
・第4,13番、即興曲D.899:セルジオ・フィオレンティーノ(APR)
初めて聞く名前のピアニストですが、彼が1998年に晩年亡くなる少し前に録音したものです。独自の風格を持った音楽家の演奏とでもいうべきでしょうか。昔のヴィルトゥオーゾタイプのピアニストらしく、音の粒だちはとてもはっきりしていますが、甘くて柔らかく厚みのある音色がユニークで印象的です。じっくりとしたテンポでしみじみと心の底から歌い上げた13番が特に美しく、第2楽章の静謐さの中にはとても深い境地を感じます。愛すべきいい演奏でした。第21番の録音もあるそうなので機会があれば聴いてみたいと思っています。
・第4,14番、さすらい人幻想曲:ロナルド・スミス(APR)
このスミスも初めて知る人です。彼が1980年代にニンバスに録音したもののライセンス発売だそうです。技術的にも音楽的にも非常に素朴でダイナミックレンジも狭く、音像もはっきりせず音色もニュートラル、全体にこれといった特徴のない演奏に聴こえます。しかし、よくよく耳を傾けてみると、一つ一つの音やフレーズには淡くともしっかりした性格が与えられていて、とても心のこもった演奏であることに気づかされます。その飾らない訥々とした語り口には、知らず知らずのうちに引き込まれてしまいました。スター演奏家が弾くと途端に筋肉隆々の威勢の良い曲になってしまう「さすらい人」幻想曲が、シューベルトが少数の友人たちを前にピアノを弾いて聴かせているかのようなアットホームで親密な佇まいで奏でられているのが私にはとても好ましいです。繰り返し聴きたくなる魅力的な演奏でした。
・第15番、3つの小品:ルートヴィヒ・セメリャン(ATMA)
カナダの鍵盤奏者セメリャンがシューベルトの時代のコンラート・グラーフ製フォルテピアノを弾いた演奏。まずジャケットで第15番の第1楽章の演奏時間を見てびっくり。通常長くても15分程度のところを22分もかけて演奏しています。シューベルトのピアノ・ソナタというと、私はゆっくりしたテンポのものを非常に好むのでつい買ってしまいました。実際聴いてみると確かに「牛歩」ともいうべき遅さですが、表現自体は特に深刻でもなく、意味ありげなパウゼやアゴーギグもない非常に丁寧で素直な演奏でした。ですから、アファナシエフやリヒテルのようにシューベルトの音楽の深淵を明らかにするためにテンポを遅めたのではなく、フォルテピアノの音の減衰をしっかり聴かせるために遅くしたのではないかと思います。その結果、ちょっと間延びしたようなところが感じられてしまうのは残念ですが、しかし実直なまでに丁寧に音を積み重ねていく演奏者の姿勢はとても気持ちよく、カップリングの3つの小品も含め私はとても楽しみました。なお、未完の第15番は通常と同じように完成された2楽章までを演奏しています。
・第18番:村山卓洋(genuin)
何年か前のシューベルト国際コンクールで入賞した村山氏の録音。バッハのトッカータと武満の「閉じた眼」に挟まれて演奏されていますが、非常に大柄のスケールの大きな表現に好感を抱きました。どの音も非常に明晰で重量感があり、アクセントも概して強め、ゲルハルト・オピッツの弟子としてドイツのピアノ演奏の流儀を引き継いでいる人という印象でした。しかし、すべてがあまりにクリアに弾かれているせいか、この曲独特の、彼岸と交信しているかのような幽玄な雰囲気が背後に行ってしまったように思えるのが少々残念。とはいえ、日本のピアニストでもこれだけの演奏ができる人ができるのだと知って嬉しかったです。村山氏の今後の活躍を期待したいと思います。
・第19番、即興曲D.899ほか小品:セバスチャン・クナウアー(Berlin Classics)
続いて今度は生粋のドイツ人で、フィリップ・アントルモンの高弟クナウアーの1999年の録音。19番は非常に几帳面ですべてが明晰に弾かれた誠実な演奏です。ハ短調の和音は非常にドラマティックに重量感を持って鳴らされていて、ベートーヴェン的な推進力や音楽の構築への意志を強く感じさせるものです。その意味ではなかなかの好演ですが、この曲に現れる短調と長調の交差や半音階の多用による心の「ざわめき」は、どうしても「安定」の方向のベクトルへと収斂させようという意志が働いているようなのが私の好みとは少し違う気がしました。むしろ、哀しみを掌の上でコロコロと転がして戯れているかのような「ハンガリーのメロディ」の演奏の方が私には気に入りました。彼は今年、来日して演奏会を開くそうなので聴いてみたいなあと思ったりもしています。
・第20,21番:コンスタンティン・リフシッツ(若林工房)
リフシッツは決してマイナーなピアニストではないですが、発売されているレーベルがマイナー(若林工房)なのでこちらで感想を書きます。20番は1996年、リフシッツが20歳の時、そして21番は2003年の日本でのライヴ録音だそうです。まだ20代の若いピアニストの演奏からシューベルトの音楽の「深淵」がはっきりと見てとれます。20歳で既に20番の第2楽章で深々とした寂寥の響きを聴かせているのは大変素晴らしいですが、それ以上に21番のシューベルトの「孤独の痛み」が十全に表現された演奏は、リヒテルやアファナシエフの系譜に立つものとして捉えることができるのではないかと思います。もちろん、これが完成された表現だとは思いませんから、リフシッツは今後また違った角度からシューベルトの音楽の魅力を引き出してくれるものと期待します。
・・・他に聴いたもので感想を書きたいものもあるのですが、"To Be Continued"ということで今日はこのへんでお開きです。