私のシューベルティアーデ(16) 〜 プレガルディエンの「冬の旅」(室内楽版)

2008.03.26 Wednesday

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    ・シューベルト/歌曲集「冬の旅」D.911
     (ノーマンド・フォゲット編曲室内楽伴奏版)
     クリストフ・プレガルディエン(T)
     ジョゼフ・ペトリック(アコーディオン)
     ペンタドル(管楽アンサンブル)
     ATMA Classique


     プレガルディエン3度目の「冬の旅」の録音は、カナダのオーボエ奏者フォゲット編による室内楽編曲版です(過去、ピアノフォルテ伴奏によるオリジナル版と、ツェンダー編曲版の2度録音)。この2007年発売のカナダATMA盤は、ArkivMusicのカタログを見ていたら偶然見つけたので即注文、今日届いたので早速聴いてみました。

     この版の第一の特徴は、まず室内楽伴奏の楽器編成のユニークさです。具体的に言うと、フルート(ピッコロ持替)、クラリネット、オーボエ、ホルン(バロックホルン持替)、バスーンの5人の管楽アンサンブルと、アコーディオン奏者の計6名の伴奏となっています。ただし、ツェンダー版のような「翻案」はなく、ほぼ原曲のピアノ伴奏譜を忠実に編曲しています。ピッコロの使用もあり音域も広いですし、どこか線的でスリムな響きが現代的なテイストを持っていますが、全体的にはあたたかく柔らかな音色感のある編曲になっていて耳に心地よいです。一つ変わっていたのは、「宿屋」で、管楽アンサンブルの面々がハミングでハモりながら伴奏をつけているところでしょうか。うらぶれた宿屋のイメージが沸き起こって面白かったです。そして、伴奏の主体となって活躍するアコーディオンがなかなかいい味を出しています。

     それから、この版のもう一つの特徴は曲順です。もともとシューベルトが原作のミュラーの詩の順番を変更していたのを、原作通りの順番に戻して演奏されているのです。従って、「菩提樹」の次にいきなり「郵便馬車」のあの角笛の響きが鳴り響くのでかなりびっくりします。その後も、オリジナルのキーのまま曲順が結構入れ替わっていて頭が混乱してきます。編曲者は原作の「ストーリー」を尊重したかったんでしょうけれども、私には違和感があり、やはりシューベルトが調性を考慮して採用した曲順を尊重すべきだったんじゃないかと考えます。

     正直言うと、こうしたアレンジと曲順によって再構成された「冬の旅」が一体何を意図して作られたのかというと、結局のところ私にはまだよく呑み込めていません。ピアノ伴奏で聴く「極北の音楽」のイメージが後退して、どこかあたたかい希望を感じさせる音楽になっていることから、「地球温暖化」を感じてしまいます。その温暖化の影響で、辻音楽師のそばを通り過ぎた主人公が、その後解けた氷の洪水に流されたり雪崩に会ったりして死んでしまうのか、はたまた彼岸の世界から救われて生還してくるのか、そこは聴く人それぞれのファンタジーに委ねられているのでしょう。・・・邪道な感想でしょうか。

     さて、プレガルディエンの歌は、最近聴いたシューマンとヴォルフの歌曲集(ヘンスラー)で声の衰えを感じさせていたので少し危惧がありましたが、以前ほどではないにせよ彼本来の瑞々しい美声が戻っていて安心しました。そして、この世での居場所を失ってさまよう若者の狂気と絶望を、前述のようなあたたかみを感じさせる伴奏にのって、血の通った優しさで包み込むような歌を聴かせてくれて、とてもいい歌だと思います。改めてプレガルディエンの実力を思い知った気がします。伴奏も、技術的・音楽的にクセのない演奏で、とてもレベルの高い音楽を聴かせてくれていて良かったです。

     というように、編曲に若干の疑問符はありましたが、好奇心を十分に満たしてくれる面白いアルバムでした。

     最近、私のシューベルト・アンテナが高くなったからかもしれませんが、ピアノ・ソナタにせよ、歌曲にせよ、シューベルトの新盤が結構多く出ているような気がします。今を生きるピアニストや声楽家を魅了し続けるシューベルトの音楽のもつ「力」が何なのか、彼の音楽を聴きながらもっと探っていきたいと思っています。

    グリーグの音盤あれこれ

    2008.03.20 Thursday

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       このところ、グリーグの珍しいディスクをいくつか聴きました。

      ・ハーモニカによるグリーグ作品集
       ジグムンド・グローヴェン(ハーモニカ)
       シルヴァイ指揮ノルウェー放送管ほか(GRAPPA)

       →詳細はコチラ

       現実に叶うかどうかは別として、私はクラシック音楽がいつもかかっている珈琲店のマスターになりたいなあと夢見たりしていますが、茜色の太陽の光が射し込む夕暮れ時、一日の疲れを癒しにきたお客さんと一緒に、静かにこのアルバムに耳を傾けている場面を想像したくなりました。
       このアルバムは、ハーモニカの神様トミー・ライリーとも共演したというノルウェーの名手グローヴェンが、「ペール・ギュント」や、抒情小曲集などのピアノ曲、歌曲など有名な作品を吹いた最新盤です。伴奏はオケが主体で、ピアノ(電子ピアノ)、オルガン伴奏のものもあります。
       ハーモニカでクラシックの音楽を演奏するとなると、ともすればスーパーマーケットや喫茶店でかかるようないささかチープなものになりがちですが、このグローヴェンの演奏が非常に節度のある慎ましやかな佇まいを見せていて、伴奏やアレンジも原曲のテイストを損なわない熟慮されたものになっているため、グリーグの音楽の素晴らしさを違った角度から再認識させてくれる非常に好ましいものになっていると思います。
       私の偏愛する「過ぎた春」は、オルガン伴奏で静かな聖歌のような趣の仕上がりで心が鎮められますし、「ソルヴェイグの歌」「ソルヴェイグの子守唄」あたりは想像通りにほんとうにしみじみとした歌がまっすぐに心に響いてきます。どこか孤独を感じさせつつも、人のぬくもりを求めるようなあたたかさを感じさせてくれて素晴らしいです。また、ノルウェー舞曲などで見せる超絶技巧も大したものです。とても素敵なアルバムだと思います。

      ・サックスによるグリーグ作品集「夏の夜」
       H.K.ホワイト(Sax)/ラシュトン(p)(Musicaphon)

       →詳細はコチラ

       こちらは7割引で格安で買ったもので、グリーグの歌曲ばかりを集めてサックスとピアノで演奏したもの。有名な曲は少なめですが、ここでも私の好きな「過ぎた春」が収められていて、その編曲がとても洒落ています。つまり、まずピアノのイントロをカットして、無伴奏でサックスがいきなり冒頭の旋律を吹いて始まります。意表をつかれて「やられた!」という感じですが、これがなかなか味があって良いのです。アルバム全体としても、少しひんやりとした硬質なサックスの響きが快く、タイトル通り夏に一服の涼をとるのにはとても良いディスクだと思います。


      ・劇音楽「ペール・ギュント」抜粋、2つの悲しい旋律、ノルウェー舞曲第2番
       オヴェルボ(S)/ディミトリー・キタエンコ指揮ベルゲン・フィル(グリーグ博物館)

       近所のブックオフで400円で売られていたのですが、どうやらノルウェーのグリーグ博物館の自主制作盤のようで、今まで一度も見たことのない1994年の録音です。キタエンコというと、私は、1981年にムラヴィンスキーの代わりにモスクワ・フィルと来た時の、チャイコフスキーの爆演の印象が余りに強いのですが、オケのせいか透明な響きが印象的で、また、曲が曲だけにとてもしっとりとした情感を際立たせた美しい演奏で驚きました。ソプラノの清楚な歌もとても耳になじみます。ここでも「過ぎた春」が入っていますが、感情過多になる一歩手前のところで踏みとどまった熱い歌に胸を打たれました。ただ、面白いのは、「山の宮殿にて」とか「ペール・ギュントの帰郷」といった激しい曲では、打楽器が派手に鳴らされたり、ものすごいアッチェランドがかかったりして、「ロシア人」キタエンコの顔を思い起こさせるものがあったことです。これは嬉しいめっけものでした。

       昨年は没後100年だったグリーグ、あまり盛り上がらないままに終わった感があり残念でした。彼の音楽を聴く機会がもっと増えることを期待します。

      アンドラーシュ・シフ リサイタルを聴いて

      2008.03.11 Tuesday

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         9年ぶりに来日したアンドラーシュ・シフのピアノ・リサイタルを聴いてきました。(於:東京オペラシティ・コンサートホール)

         まず、彼の弾くJ.S.バッハのフランス組曲第5番を聴きながら、私は不覚にも落涙してしまいました。それは、「ああ、生きてて良かった」という喜びに満ち溢れた涙でした。今まさに産声を上げたような生命の息吹を感じさせる瑞々しい音たちが、私の心の中に溜まった「澱」をきれいに洗い流してくれた気がしたのです。こんなに素晴らしい音楽に出会えてよかった、嬉しいと心から思いました。
         次に演奏されたシューベルトの「ハンガリー風メロディ」では、一変して、それこそ「愛を歌えば哀しみになり、哀しみを歌えば愛になる」というシューベルトの言葉をそのまま音にしたような演奏にまた涙しました。いや、号泣したと言った方が良いかもしれません。とにかく今、私の心が激しくシューベルトの音楽を求めているということもあって、「これが聴きたかったんだ」という感動を覚えたせいもあるでしょう。ハンガリーのジプシー音楽に由来する跳ね上げるようなギャロップの伴奏の独特のリズム感に、シフがハンガリー出身者であることを思わずにいられませんでした。本当にいい演奏でした。
         そして、次はまたバッハに戻ってイタリア協奏曲。これも徹頭徹尾、生きる喜びに満ち溢れた演奏で、フランス組曲の時同様、まさに「至福の一時」を過ごしました。第2楽章の決してベタつかない深々とした抒情に心打たれました。
         最後に演奏されたのはシューマンのアラベスク。優しくてちょっとノスタルジックな音色を楽しみながら上気して興奮した心をい時間をかけて沈静させてくれました。とても印象的な演奏会の締めくくり方でした。

         ・・・と書いてきましたが、実を言うと、以上はすべてアンコールの曲目で、何とバッハのフランス組曲もイタリア協奏曲も抜粋ではなく全曲が弾かれたのです。全部で40分以上のアンコールで、終演を迎えたのはもう22時少し前でした。

         コンサート本体の曲目は以下のようなものでした。

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         ・シューマン/蝶々
         ・ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」
         ・シューマン/幻想曲
          − 休憩(20分) −
         ・ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」
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         これらの曲では、アンコールの時とは若干違う感想を持ちました。

         シフの演奏は、まず一つ一つの音を綿密に分析してそれらに相応しい音色をイメージして、その音色の変化やダイナミズムでもって音楽を構築するような特徴があると思います。たとえて言うなら、楽曲全体がジグゾーパズルで、その構成要素である音符がパズルのピース、そして各ピースそれぞれに精密な色づけと造形をおこなって、それらをぴったりとあるべき形に仕上げてパズルを完成させていく、そんなイメージでしょうか。
         特にベートーヴェンのソナタで、どんなに激しい部分でも一つ一つの音がしっかりとした質量とベクトルを持って明晰に鳴らされているのが印象的でした。しかも、それらの音が何と多彩で豊かな音色で奏でられていたか、それは驚異的としか言いようがありません。ペダルを踏みっぱなしにして敢えて音をぶつけるあたりの音の響かせ方などもとても印象深いものがありました。
         そんなシフの演奏によって、ベートーヴェンの音楽においては最初に提示された「主題」が発展する過程で、自らの中に生まれた「主題」へのアンチテーゼに耳を傾け、完全に足を止めて思索するような場面が、意外に大きなウェイトを占めているのだということがわかりました。暗中模索のまま進む「テンペスト」の第1楽章や、果てしなく自問自答が繰り広げられる「ワルトシュタイン」の第2楽章などでそれは顕著でした。これはそのままシューベルトの音楽の「逡巡」やシューマンの音楽の「狂気」の要素を孕んでいるだけでなく、十二音技法以降の現代音楽さえも予告する音楽だとさえ思いました。それは私にはとても大きな発見で、大いに感動したところです。
         ただ、細部にまで十全の心配りをした緻密な音楽の設計と演奏に感心しながらも、奔放で型破りなベートーヴェンの音楽のはかりしれない強烈なパワー、破壊力、前進力といったものが少し背後へと隠れてしまっているのが私にはほんの少し不満でした。それは物理的な音量の問題ではまったくない(とても豪壮なフォルテでした!!)ですし、とても些細な不満ではありますが。

         一方、シューマンの2曲は、私がシューマンのピアノ曲には不慣れで、自分なりの聴き方を持てていないので、正直言うと「曲自体を理解し切れていない」というのを痛感しました。が、その前提の上で演奏の感想を書くとするなら、やはりここでもシフの演奏のスタンスの基本は上記で述べたことと共通していて、「音色で構築された音楽」を聴いたということでしょうか。それぞれの音、モチーフ、フレーズ、楽章、すべてにおいてどんな音色で弾くのが良いのか、帰納と演繹を厳しく繰り返しながら丹念に構築した音楽。そして並外れた集中力を持って、饒舌なまでにシューマンの音楽からたくさんの切れ切れの言葉を導き出した演奏。私の今時点の感覚では、シューマンの音楽は「あらかじめピースの失われたジグゾーパズル」のようなものであって、その「喪失感」ゆえに美しさがあると感じているのですが、音楽に対して厳しく論理的あるいは倫理的であろうとするシフのアプローチが、シューマンの音楽の「失われたもの」の存在を明らかにしていて秀逸だったと思います。

         そして、これらの非常に理知的な演奏を聴いた後に、最初に書いたような音楽の喜びに満ちたアンコールの曲たちを聴いたわけです。正直言うと、本体の曲だけで演奏会が終わったら、「いい演奏だったけど疲れたなあ」と思いながら帰路に着いたと思いますが、あのバッハやシューベルトを聴いて、些細な不満がすべて消え去ってしまったのです。「終わり良ければ」ではないですが、本当に素晴らしい演奏会だったと思います。

         もう一つ、書いておきたいことは彼の弾いた楽器についてです。シフの音色感を重視した音楽観を体現するには、楽器の選択は大変重要な要素になっていたように思いました。彼は、ピアノの「グローバル化」の象徴であるスタインウェイではなくてベーゼンドルファーを弾いたのですが、そのまろやかで柔和な音色を駆使して、まったく独自の音世界を作り上げていたと思います。そのへんは、以前このブログで書いたシューベルト全集のディスクでの印象と重なるところです。

         ・・・と、書きたいことを書きなぐるばかりで全然言葉を整理できていませんが、いい演奏会を聴けたという大きな満足感に包まれていることは確かです。きっと一生忘れられない演奏会になると思います。私にこんな機会が与えられたのはとても幸運だったと感謝せずにはいられません。シフの大ファンになってしまいました。これからも彼の演奏を聴いていきたいと思います。

        グッテンベルク指揮 ブルックナー/交響曲第4番

        2008.03.10 Monday

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          ・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
           エーノッホ・ツー・グッテンベルク指揮
           クランク・フェアヴァルトゥング管弦楽団

           →詳細はコチラ(HMV)


           以前のエントリーで取り上げたエーノッホ・ツー・グッテンベルク指揮の新盤、ブルックナーの交響曲第4番を聴きました。オケは手兵のクランク・フェアヴァルトゥング管弦楽団で、2007年4月のウィーン・ムジークフェラインでのライヴ録音。彼のCDをリリースし続けるFARAOレーベルから出たSACDのハイブリッド盤です。

           名匠グッテンベルクがオケから引き出す響きは、きりりと引き締まっていながらも豊麗さが失われておらず、とても美しいものに感じます。そして、音楽が「語りかけてくるもの」を、落ち着いたテンポでじっくりと聴かせてくれているのですが、この指揮者が南ドイツ(特にミュンヘン)の開放的な空気の中で活動している人だからでしょうか、柔和な微笑みを絶やさず優しい歌を聴かせてくれるのがとても好ましいです。以前聴いた、モーツァルトの「レクイエム」でのニヒルで攻撃的な演奏をした指揮者と同一人物とは思えないくらいです。なかなか一筋縄ではいかない指揮者なのでしょう。しかし、寄せ集めのオケをここまで徹底的に自分の色に染め上げ自分の手足のように操っているのを聴くと、相当なカリスマ性を持った指揮者なのだろうなあと思います。オケも、指揮者の解釈を具現化しようと献身的に演奏しているようで、ウィーンの晴れの舞台ということもあってかその真剣度はディスクを通してもストレートに伝わってきます。とてもいい演奏だと思います。

           このグッテンベルクのブルックナーは、かつての大指揮者たちが遺してくれた巨大な建造物のような演奏とはまったく外見が違いますが、それでも、聴き終わって「ああブルックナーの音楽を堪能した、たっぷり味わった」という満足感を覚えました。

           なお、このディスクのリリース前は、レーヴェの改訂版を使用した演奏ということも話題になっていましたが、HMVのレビューでも書かれていたようにシンバルも出てこないし、目立った「改訂」の跡らしきものは耳に残りませんでした。きっと、改訂版のアイディアを隠し味的に採用しているのだろうと思います。また、ところどころ独特のアゴーギグがあったので、テンポ変動(特にフィナーレ)に関して何かのヒントを得たのかもしれません。いずれにせよ、「クラヲタ」的視点からも実に面白いブルックナーの新盤だと思います。

           こういうのを聴くと、ますます彼のナマを聴きたくなります。かの地で指揮しているブルックナーやマーラー、そして彼が最も得意とするバッハの「マタイ」などを是非聴いてみたいものです。

          私のシューベルティアーデ(15) 〜 私の愛聴盤たち

          2008.03.09 Sunday

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            ・交響曲全集
             ハンス・ツェンダー指揮南西ドイツ放送響


             交響曲全集ではブリュッヘンやベームのものも愛聴していますが、これは「冬の旅」の編曲版もあるツェンダーの作曲者への並々ならぬ愛情を感じる素晴らしい演奏だと思います。何よりもその岩清水のような清らかで純度の高い音色が美しい。また、少し速めのテンポの中でしなやかでな歌が巧まずして浮き上がってくるさまは聴いていて非常に心地よいです。特に初期の作品の瑞々しさをこれほどストレートに味わわせてくれる演奏は他にあまりない気がします。

            ・交響曲第7番「未完成」,第8番「グレート」
             カール・ベーム指揮ウィーン・フィル(1975東京ライヴ)



             この1975年のベーム/VPO来日公演でのシューベルトは、リアルタイムでは聴けなかったのですが、ベームが亡くなった1981年にFMで再放送されたのを聴き非常に感銘を受けた演奏です。その後LP、CDでも購入して愛聴しています。ベームがこよなく愛したウィーン・フィルとのライヴは格別で、最盛期の棒を思わせるような充実した音楽にはとても感動します。なお、「未完成」は他にクライバー(ナマで聴けるはずだった・・・)やケーゲル、「グレート」はフルトヴェングラーやワルター、バーンスタインやギーレン、ノリントンなど本当に様々な名演があってそれらにも愛着はとてもあります。また、ベームの「グレート」には1973年のウィーン・フィルとの映像もあり、こちらも素晴らしいです。そこに併録されたミサ曲第6番も美しいことこの上ない演奏です。

            ・劇付随音楽「ロザムンデ」から間奏曲第3番
             セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル


             海賊盤です。1989年のライヴでFMでも放送されましたが、どういう訳かEMIのシリーズでは正規リリースはされませんでした。即興曲や弦楽四重奏曲で引用された旋律を持つ、この静謐で透明な美しさを持った曲は、チェリビダッケの手にかかると、まさに彼岸の音楽であるかのように響きます。尋常ではないスローテンポ(通常6分くらいの曲が10分!)で、すべての音の綾を解きほぐして夢のように美しい音空間を再構築しています。それにしても何と哀しくて切ない弦楽器の歌でしょうか。私は、この曲に関しては、これ以外の演奏がなかなか受け付けられなくて困ってしまっています。

            ・ピアノ三重奏曲第1番
             カザルス・トリオ


             カプソン兄弟とブラレイ、あるいはインマゼールとビルスマらの録音を忘れた訳ではありませんが、この曲はコルトー、ティボー、カザルスらの演奏に戻ってきてしまいます。特に、第2楽章の美しい歌は、今後もこれ以上に魅力的なものが出るだろうかと不安になるくらいです。コルトーの古雅な味わいを秘めた伴奏に乗って、強靭なしなやかさをもったカザルスのチェロの歌と、こぼれんばかりの美音で朗々と歌われるティボーの歌が絡まってまさに「楽興の時」を味わわせてくれます。針音の向こうから、「孤独は怖くない、一緒に語ろうではないか」と手を差し伸べてくれるような優しい「肉声」が聴こえる思いがします。 

            ・弦楽五重奏曲
             ロストロポーヴィチ(Vc)/メロスSQ




             私が死んだら、この曲であの世(地獄?)に送って欲しいと思っています。まさに天国的な長さを感じさせる曲で、第1楽章の雲ひとつない青空、第2楽章の無垢な天使の静かな嘆きと祈りは、人間が書いた音楽の中でも最も美しい音楽の一つではないかと思います。演奏もかなりいろいろ聴いてきましたが、一番最初に聴いたロストロとメロスSQの、重厚で味の濃い歌に満ち溢れた演奏に戻ってきてしまいます。以前、第1楽章だけは自分でも演奏する機会があって本当に幸福でしたが、死ぬまでに一度全曲やってみたいと思っています。

            ・アルペジョーネ・ソナタ、歌曲集(Vc&P版)
             ミッシャ・マイスキー(Vc)/ダリア・ホヴォラ(P)


             このマイスキーの盤は、再録音となるアルペジョーネも素晴らしいですが、それ以上に「無言歌」として演奏された歌曲のチェロ版がとても美しいです。例えばリスト編曲でも有名な「水車屋と小川」は、伴奏はそのままでメロディがチェロで弾かれるだけなので、原曲のシンプルな美しさはそのままにまた違った美しさを再認識させてくれます。また、「万霊節の日のための連祷」や「夜と夢」も本当に美しさの限りです。

            ・三大歌曲集
             D.F=ディースカウ(Br)/ジェラルド・ムーア(P)


             もう何も言うことはない有名な演奏です。私もこれが歴史に名を残す素晴らしい演奏であることには何の異議もありません。
             このディスクでのムーアとの歌はいずれもまさに全盛期の歌で、呆気にとられるほど完璧な歌です。「水車小屋」も「冬の旅」も素晴らしいですが、「白鳥の歌」の後半の戦慄が走るような深い暗闇の凄みは他の歌ではなかなか聴けないものです。
             余談ながら、今から20年以上も前、初めてサントリーホールで聴いた演奏会が、ディースカウの歌う「冬の旅」でした。当時、遠距離恋愛が破綻しかけていた私には、あまりにも胸に迫ってくる歌で、聴きながらずっと涙が止まらなかったのを覚えています。

            ・歌曲集「美しき水車小屋の娘」
             フリッツ・ヴンダーリッヒ(T)/フーベルト・ギーゼン(P)



             「水車屋」だけは、ディースカウよりもヴンダーリッヒの死の直前の歌に惹かれます。本当に神様からの贈り物としかいいようのない類まれな美声と甘い歌い口で、失恋に傷つき「生」の意味を失ってしまった主人公の哀しい心理を切なく歌います。何度このCDを聴いて、自分の失恋の傷を癒したことか分かりません。
             プレガルディエンやシュライヤー、或いは往年のシェッツらのディスクも良いのですが、ヴンダーリッヒの歌は私には別格です。今後、若い声楽家達が、これを凌駕する歌を聴かせてくれれば嬉しいのですが・・・。

            ・歌曲集
             バーバラ・ボニー(P)/ジェフリー・パーソンズ(P)


             シューベルトの歌曲で何が一番好きかと聞かれると、いろいろ躊躇した挙句「アヴェ・マリア」だと答えるだろうと思います。その「アヴェ・マリア」で一番好きなのがこのボニーの歌です。あまりヴィヴラートをかけ過ぎない清楚で透明な歌声が快く、耳にすーっと自然に入り込んできます。この音盤、他の収録曲もどれも美しく、絶筆に近い「岩の上の羊飼いの歌」も素晴らしいです。他では有名なアメリングの歌もとても素晴らしいと思います。

             と、有名な音盤ばかりを挙げましたが、いずれも私にはかけがえのないものばかりです。これからもまたシューベルトを聴き続けることは間違いありませんから、また愛聴盤も増えていくだろうと思います。

            私のシューベルティアーデ(14) 〜 ルプーソナタ集

            2008.03.08 Saturday

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              ・ピアノ・ソナタ第1,5,13,14,16,18,19〜21番、楽興の時、他


              ・ピアノ・ソナタ第17番(+ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」)

               ラドゥ・ルプー(P)

               シューベルト弾きとして世評の高いラドゥ・ルプーのソナタを集中して聴きました。9曲のソナタが収められたDeccaのセットは、デビュー直後の1971年から1991年の20年間にわたってCD4枚分の集大成になっています。また、第17番だけは祖国ルーマニアのエレクトレコードに録音されていて、こちらはタワレコの半額セールで入手しました。

               千人のリリシストというキャッチコピーで知られるルプーの演奏、確かに抒情的な場面での瑞々しいリリシズムには見るべきものが多いです。例えば第16番の緩徐楽章などはまるで初めて聴く曲でもあるような清冽な美しさが際立っています。第18番「幻想」も同傾向の演奏で鮮烈な印象を残します。別枠で録音された第17番も迸るような生命力を感じさせる白熱した演奏です。さすがに多くの人から評価されるのもなるほどと思わせるほど、シューベルトの音楽の抒情を明らかにするのにはうってつけの音楽性を持った人なのだなあと思います。

               しかし、特に若い頃の録音では、ルプーの特にフォルテでの打鍵が、どうも私は生理的に馴染みません。鍵盤を「ひっぱたいた」ような、少し乱暴とも言えるような激しいタッチが「うるさく」感じられてしまうのです。もちろん、そんな音を使ってさえも表出されたテンペラメントの激しさには共感するところもあるのですが、どうもキンキンと金属的に響くピアノの音が耳に刺さってしまうのです。ナマで彼の音を聴いたらやたら大きくて驚いた、という体験談を聞いたことがあったので、なるほどなと思ったりもします。

               ですので、いい演奏だと思って聴き進めながらもどこか違和感が拭えないままいましたが、シリーズの最後に録音された第13,21番では、その私の苦手なタッチはほとんど姿を消し、まずはシューベルトの音楽を味わうのに何の支障もない素晴らしい演奏になっていると感じました。特に第21番の深沈とした味わいは、他の演奏からは得られない独特の風格をもったもので、私は大変気に入りました。特にあの第1楽章の提示部繰り返しの括弧内の9小節のぞっとするような不安げな美しさには鳥肌が立ちました。

               シューベルトのピアノ・ソナタにハマり始めて、そろそろこのへんで一旦は一段落つけようかと思いつつ聴いていたのですが、この素晴らしい21番の演奏を聴くと、まだまだやめられないなあと思ったりもします・・・。

               本当に奥深い世界です。蟻地獄にでもはまったような感覚です。

              私のシューベルティアーデ(13) 〜 ヴァリッシュの未完ソナタ集

              2008.03.05 Wednesday

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                 第21番までカウントされているシューベルトのピアノ・ソナタですが、よく知られているように、その中で「明らかに完成されたもの」というと11曲しかなくて他の10曲は未完のままになっています。その中には途中の楽章までで終わっているものもあれば、楽章の途中で筆が止まっているものもあります。そのため、アンドラーシュ・シフが自身のソナタ全集のライナーノートで語っているように、演奏家はそれらの曲を実際に演奏するかどうか、彼ら彼女らなりの取捨選択の判断をする必要があります。例えば、先日とりあげたツァハリアスは完全に完成された曲からさらに1曲(第2番)を省いて10曲だけを演奏していますし、内田光子はそれより少し多くて12曲、そして最も収録曲が多いシフでさえ第12番を省略して20曲が演奏されたりしています。そんな事情があるために、普段は未完に終わったソナタを聴く機会というのはなかなかないものです。

                 しかし、音の百科事典を目指すというナクソス・レーベルからは、シューベルトの未完に終わったピアノ・ソナタが3枚リリースされています。

                ・ピアノ・ソナタ第1番ホ長調 D.157
                ・ピアノ・ソナタ第8番嬰へ短調 D.571/D.570/D.604(4楽章構成)
                ・ピアノ・ソナタ第12番嬰ハ短調 断章 D.655
                ・ピアノ・ソナタホ短調 断章 D.769a(D.994)
                ・ピアノ・ソナタ第15番ハ長調 D.840『レリーク』(4楽章構成断片)



                ・ピアノ・ソナタ第2番ハ長調D.279(+D.346)
                ・ピアノ・ソナタ第3番ホ長調D.459(5つの小品)
                ・ピアノ・ソナタ第6番ホ長調D.566(+D.506)



                ・ピアノ・ソナタ第5番変イ長調 D.557
                ・ピアノ・ソナタ第7a番変ニ長調D.567
                ・ピアノ・ソナタ第10番ハ長調D.613(+D.612)
                ・ピアノ・ソナタ第11番へ短調D.625(+D.505)



                以上、ゴットリーブ・ヴァリッシュ(P)

                 これらのヴァリッシュ盤において特徴的な点は以下のように盛りだくさんです。

                 ・現行の第7番の初稿である第7a番D.567が収録されている(調性が異なる)
                 ・第8番D.571が、D.570のスケルツォとアレグロ、D.604と共に4楽章構成で演奏されている
                  →ただし楽章の途中で中断された音楽を補筆せずそのまま演奏している
                 ・第10番D.613がD.612のアダージョと併せ3楽章構成の断片として演奏されている 
                 ・第11番D.625がD.505のアダージョを加えて4楽章版で演奏されている
                 ・第12番D.655(断片)が収録されている(この曲は通常は誰も演奏しない)
                 ・番号がつけられていないD.796Aが収録されている
                 ・第15番「レリーク」の未完の第3,4楽章が断片のまま演奏されている
                  →特に第4楽章は非常に唐突に終わってしまいびっくりする。

                 上記特徴のおかげで、私が所持している全音楽譜出版社のシューベルトのピアノ・ソナタ全集の楽譜の第1巻に収められた曲がこれで音として全部聴けるという訳で、そのことだけでもとても資料的価値の高いディスクと言えると思います。

                 肝心の演奏ですが、ウィーン出身の若手ゴットリーブ・ヴァリッシュがとても誠実ないい演奏を聴かせてくれています。頻出する意外な転調や不気味な不協和音の出現によって引き起こされる「ショック」は極力控えめに演奏されていて、シューベルトの音楽の「痛み」や「深淵」は強調されない穏やかな演奏と言えると思います。はにかみ屋でいつもうつむき加減な内気さを秘めていたというシューベルトの性格をよく表した演奏というべきでしょうか。特に第8番の演奏は内に秘めた不安を見事に表現していて胸に響きますし、普段は聴けない第10,12番の演奏も音楽を手中におさめた演奏で安心して聴けます。ただ単に珍しい「トルソー」をやっつけ仕事で音にするのではなく、愛すべきシューベルトの作品を世に紹介したいという使命感のようなものも感じられて非常に好感が持てます。シューベルトの音たちを大切に扱ってくれてありがとう、と言いたくなります。

                 ナクソスでは、完成されたピアノ・ソナタは看板アーティストのイェネ・ヤンドーのディスクが発売されていますがそちらはもう既に古くなったので、ヴァリッシュ君の「完全なるピアノ・ソナタ全集(と言っても未完の作品も含む)」を作ってくれれば嬉しいなあと思います。

                私のシューベルティアーデ(12) 〜 シュッフのソナタ第4,18番

                2008.03.04 Tuesday

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                  ・ラッヘンマン:シューベルトの主題による5つの変奏曲
                  ・シューベルト: ピアノ・ソナタ第18番ト長調 D.894『幻想』
                  ・シューベルト: ピアノ・ソナタ第4番イ短調 D.537
                  ・ラッヘンマン:独奏ピアノのためのグエロ
                   ヘルベルト・シュッフ(ピアノ)

                  詳細はコチラ

                   取れたてホヤホヤ、今日購入した新譜です。
                   
                   1979年ルーマニア生まれでドイツに移住した若手ヘルベルト・シュッフの2枚目のディスクで、シューベルトのソナタ2曲とラッヘンマンの曲を組み合わせたディスクです。このシュッフの前作はシューマンとラヴェルの作品を組み合わせたものでドイツではよく売れた(と言っても8000枚ですけど)そうで、彼のシューベルトも現地ではとても評判が良いのだそうです。

                   確かに、期待の若手というだけあって、技巧はしっかりしているし、シューベルトの音楽にある抒情性はとても清冽に表現されていて好ましい演奏です。「幻想」も、夢見るようなおぼろげなト長調の和音が、突如盛り上がってラッパの信号音のようなフォルテの連打へと「発展」していくさまはとても鮮やかです。そして、第3楽章のトリオがとても「少ない」音で弾かれていて、ブルックナーの交響曲のスケルツォのトリオを思わせるような寂寥感の音楽になっているのも私には好ましかった。また、第4番のもつ悲劇性も決して乱暴になったりすることなく的確に表現されていて、シューベルトの心の奥底にもともと潜んでいた「深淵」を垣間見せてくれます。第20番の第4楽章で再利用されることとなった第2楽章の歌謡的な主題も、どこかに影を感じさせる歌い口になっていて心に残りました。

                   一方、ラッヘンマンの「変奏曲」はドイツ舞曲を変奏したものですが、あのラッヘンマンにしては普通の聴きやすい変奏曲でびっくりしました。作曲者のシューベルトへの畏敬の念がそんな音楽を書かせたのでしょうか。ただ、最後に弾かれた「グエロ」は、まさにラッヘンマンの面目躍如、特殊奏法のオンパレードで面白いです。(楽譜が見てみたい)シュッフの演奏も、肩の力を抜いて自然にこの現代曲をさらっと弾いています。なかなか優れた技量の持ち主とみました。

                   彼は、ブーレーズ指揮(!)で「皇帝」を演奏したりして既に人気ピアニストのようで、そのうち日本でも間違いなく注目されることとなると思います。こういう若い人たちがシューベルトの音楽に挑戦して良い成果を聴かせてくれるのはとても嬉しいですし、ナマで聴いてみたいものだと思います。イケメンっぽいので女性からも人気が出るのではないでしょうか?

                  私のシューベルティアーデ(11) 〜 ピアノ連弾のディスク2題

                  2008.03.04 Tuesday

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                     シューベルトのピアノ連弾曲は結構な量がありますが、私は最近以下2種のディスクを聴きました。

                    ハンガリー風ディヴェルティスマン、自作の主題による変奏曲、幻想曲
                    アレクサンドル・タロー、シャオ・メイ・シュ(P)




                     まず、最近は古楽をピアノで弾いたり、ショパンの前奏曲をモンポウの曲と組み合わせたディスクを録音したりと話題豊富なピアニスト、アレクサンドル・タローが、中国出身の名手シャオ・メイ・シュ(洒落ではない)と組んだハルモニア・ムンディ盤です。
                     まず、私の大好きな幻想曲(以前のエントリーで映画に使われたことを書きました)が大変に印象的でした。二人の演奏家の心のうちにある「負」を足し合わせて、音楽のもつ哀しみが胸に突き刺さるような深さになった、そんな演奏です。2人ともがとても透明なタッチで息もぴったりあわせて弾いているので、まるで一人で弾いているかのような一体感があります。
                     また、シューベルトが片思いをしていたカロリーネと一緒に弾くために書いた「ディヴェルティスマン」も、ジプシー風のメロディが、哀しみをたたえたリズムと一緒にギャロップして戯れるような痛々しい趣を見事に表現していて心に響きます。
                     そして、「自作の主題による変奏曲」も、途中でベートーヴェンの交響曲第7番のアレグレットを引用したようなフレーズが哀しい。演奏もやはり哀しい。このディスク、とても気に入りました。

                    幻想曲、ロンド、アレグロ「人生の嵐」、ピアノ・ソナタ第13,14番
                    マリア・ジョアン・ピリス、リカルド・カストロ(P)



                     一方、同じ幻想曲も、ピリスたちが弾くと、今度は「負」を掛け合わせたら、哀しみを通り越して微笑みになった、そんな佇まいを感じさせる音楽になります。何と心温まる慰めに満ちた音楽なのでしょうか。また、激しい感情移入の余地のある「人生の嵐」でさえも同じように優しい息遣いに満ちた音楽になっています。
                     そして、ピリスの弾くあの美しい13番は、やはり彼女の穏やかな、でも哀しみをちゃんと知っている人の微笑みに出会うようで心が癒されます。生きていることの幸せ、喜びが、哀しみの中から立ち昇ってくる不思議な魅力に満ちた演奏だと思います。
                     カストロの弾く14番も、殊更に深刻がることなくシューベルトの抒情を瑞々しく引き出した演奏でなかなか良いです。

                     シューベルトの連弾曲には「軍隊行進曲」ばかりではなくて、こんなに素晴らしい音楽があるということを思い知りました。ラ・フォル・ジュルネでもいくつかの曲が演奏されるようなので、これで少しは認知度が上がるのかもしれません。また、タローと共演したシャオ・メイ・シュも来日して21番を弾くそうなので、彼女の人気も出てくるのかもしれませんね。
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