今日は、最近聴いた、とっても地味なディスクばかり集めてみました。ラウッリアラのディスク以外は、雑誌やネットで取り上げられているのを見たことがありません。
・ピアノ・ソナタ第19〜21番、さすらい人幻想曲
ジェローム・ローズ(P)(Medici Classics)
これは中古で入手したものですが、2002,3年、ニューヨークでの録音。アメリカ出身のピアニスト、ローズは私は初めて知る名前ですが、リストの作品の録音(Vox)で知られている他、ショルティやマッケラス、サヴァリッシュ始め、ジンマンやティーレマンとも共演したとのことです。
彼の演奏を聴いていて出てきた言葉は、「ユルい!」の一言です。
テンポは遅いとは言わないまでも全般にゆったりしていて、表情もまったく極端に走ることなく常に中庸、大きなドラマも起こらずにだらだらと同じような音楽が続いていきます。まさにシューベルトの音楽のある種の「退屈さ」を真っ正直に引き出しています。演奏技術は危な気なくしっかりしたものですが、この人はどこかのんびりしたところのある人なのでしょう、音楽がまったくガッつかないのです。きっとローズさんは、シューベルトの音楽をドラマティックに演奏しようなどと鼻から思っていないのでしょう、「さすらい人」の冒頭など、「やる気あるの?」と聞きたくなる人がいてもおかしくないくらいに前代未聞にユルい。
でも、私は、この演奏のユルさ加減がとても好きです。酔っ払いが同じことを何べんも言っているのに油断して付き合っているうち、いつの間にか巻き込まれて結構楽しんでいる、そんな気分になってしまいます。厳しい耳を持った評論家やファンの方からは、一刀両断で斬り捨てられるような「駄演」かもしれませんが、私はこの演奏の肩を持ちたいと思います。こんな演奏があってもいいじゃないかと思います。この人はリストを得意としているそうですが、一体どんな演奏をしているのか気になります。
・ピアノ・ソナタ第21番、即興曲集D.899/942、3つの小品
ジェームズ・リズニー(P)(Woodhause)
シューベルトの演奏に情熱を傾けているイギリスのピアニスト、ジェームズ・リズニーの2005,6年の録音。こちらは、美しい弱音を武器に、とても繊細なタッチで丁寧に弾いているのがとても好ましいです。繊細とは言っても、神経過敏な聴き疲れのするようなものにはなっていませんが、ちょっと線が細すぎて、時々シューベルトの泣き言を聴いているみたいな気分になってくるのが面白いです。内気なはにかみ故に、涙を心の裡にしまって唇をかみ締めてこらえているというような一般的なシューベルト像じゃなくて、こういうメソメソしたウェットなシューベルトの姿に接するのもありかなと思います。際立った特徴に乏しい演奏ではありながら、そのウェットな泣き言を聴きたくて、時々このディスクに手が伸びてしまいます。これもきっと巷ではあまり評価されない演奏だと思いますけれど・・・。
なお、このリズニーが弾いているスタインウェイ457560というピアノは、ペライアがモーツァルトの録音で使用するなど銘器として知られたものだそうですが、コヴェントガーデン歌劇場で舞台からピットに落下するという大事故(怪我人はなかったそうです)から修復したものなのだそうです。蛇足。
・ピアノ・ソナタ第21番、3つの小品
リスト・ラウッリアラ(P)(ALBA)
フィンランドの中堅ピアニスト、ラウッリアラの演奏は、独特のアゴーギグでテンポを揺らしながら音楽のドラマを掘り下げようという姿勢がユニークです。しかも、その音楽の振れ幅をほぼ許容範囲にとどめ、決して音楽が崩れないよう細心の注意が払われているところに、このピアニストの良識のようなものを感じます。併録の3つの小品も同傾向の音楽ですが、第2曲の中間部のようにテンポを極端に早め激しい表現を見せるところもあり、こちらは少し好悪を分かつところかもしれません。私はソナタのようなぎりぎりの抑制が欲しかったかなと思いますが、それでもしみじみとした趣のある部分では心が和む思いがします。全般に決して派手さはありませんが、手作りのいい音楽を聴いているなあという充実感を味わえました。ローズやリズニーのような「えこ贔屓」なしに、こちらは普通の意味で良い演奏だと私は思います。
・ピアノ・ソナタ第16番、小品集(変奏曲、ハンガリー風メロディほか)
パトリシア・パグニー(P)(Novalis)
さて、最後は、フランスの女流ピアニスト、パトリシア・パグニーが1995年に録音したピアノ作品集。ヒュッテンブレンナー変奏曲やハンガリー風のメロディ、クッペルヴァイザーワルツなどの小品が6曲、そして第16番のソナタが脈略なく並べられたものです。
パグニーの演奏は、きちっとして折り目正しく、とてもお行儀の良い優等生的なものです。名盤の多い16番のソナタにしても、先般涙を流しながらシフの実演を聴いた「ハンガリー風のメロディ」にしても、音楽がとても淡白にさらさらと流れていくさまに呆気にとられてしまいます。「ちょっと待ってじっくり見て!楽譜の奥に何か見えるものはないの?」とパグニーさんに聞きたくなるくらい。
でも、私はこの演奏、決して憎めません。近所にいるとても素敵な美人のピアノの先生が、一生懸命、丹精をこめて弾いたシューベルトといった身近さが胸にキュンとくるのです。こういう演奏だってあっていいじゃないかと思います。いつもいつもリヒテルやアファナシエフ、内田光子のシューベルトばっかり聴いていたら体が持たないですから。
これらの地味な演奏を聴いていると、シューベルトの音楽は、「ベスト・レコードはどれ?」「○×の演奏に比べてどっちが良いか?」などクラヲタの王道的な聴き方をするよりは、明確な判断基準や審美眼も持たずにそれぞれの演奏の持ち味を味わうという聴き方の方がより楽しい気がします。
今日はこんなところで。