私のシューベルティアーデ(41) 〜 リトウィンのピアノ・ソナタ第18,21番
2008.06.15 Sunday
・シューベルト/ピアノ・ソナタ第18番「幻想」
・シェーンベルク:3つのピアノ曲Op.11
・シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番
・シェーンベルク:6つの小さなピアノ曲Op.19
シュテファン・リトウィン(P) (Telos)
シュテファン・リトウィンは、1960年メキシコ生まれ、主にドイツで現代音楽の演奏で活躍するピアニストで作曲家です。彼は、ラサールSQと共演したシェーンベルクや、ミヒャエル・ギーレンと共演したベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番のディスクでわずかに知られる程度かと思われますが、Telosレーベルへの"Perspective"というシリーズの第2弾として、シューベルトのピアノ・ソナタ第18,21番と、シェーンベルクのピアノ曲を組み合わせたディスクを録音しています。
これは、正直言って、「珍盤」に属する演奏ではないかと思います。
何が珍しいかというと、まずモダン・ピアノでモデレート・ペダルを使用して弾いていること。モデレート・ペダルというのは、ハンマーと弦の間にフェルトがおりてミュートされるペダル。シューベルトの時代のフォルテピアノや現代のアップライトにはついていますが、現代のコンサート・グランドではついているものはなく特注でつけたとのこと。ライナーノートによると、シューベルトはpppの部分では明らかにこのモデレートペダルを想定して書いたはずというリトウィン自身の主張に基づいての措置のようです。確かに、音量が小さくなる箇所で彼がこの弱音ペダルを踏んで、独特の音色を出しているのは明瞭に聴き取れます。普通の声で喋っていた人が突然ひそひそ声で話し出し、また普通の声に戻るような感覚なのですが、普通の声がまったく普通のモダンピアノの音色だけにとても落差が大きく、聴いていて度々失笑してしまうほど。これがフォルテピアノならばさほど違和感はないと思うのですが、リトウィンは「現代の聴衆はモダン・ピアノに慣れているから」とフォルテピアノは使わなかったそうで、恐らくこの落差こそが彼の「狙い」なのでしょう。とても変わった試みであると思います。
そして、これが「珍盤」であると思うもう一つの理由。
特に第21番の演奏に顕著なのですが、速めのテンポを基調として、一切の感傷を排した即物的な演奏であり、とても乾いた印象を抱かせる演奏であること。繰り返しを入れて18分を切る快速の第1楽章は時折暴力的とさえいえるようなフォルティッシモを聴かせ、例の左手のトリルは、激しい雨を伴う強烈な雷鳴を思わせるほど。18番はそれに比べれば幾分穏やかではありますが、ドライで情緒の乏しい演奏であることは共通しています。シェルヘンがシューベルトを弾いたらこういう演奏になったかな?という気がするくらいに「きつい」演奏です。
一方、こんなに妙なシューベルトの演奏と組み合わされたシェーンベルクは、恐らく同じようなスタンスで弾かれたものに違いないのですが、とてもまともな演奏に聴こえます。「3つの小品」では、それこそシェーンベルクの指示通りに弱音器つきペダルを使って、シェーンベルクの「音色」による音楽の構築への試みを存分に楽しんでいるかのようです。恐らくは、リトウィンはこのシェーンベルクでのモデレート・ペダルの使用をヒントに、シューベルトでも使ってみようと思い立ったに違いありません。そして、音楽を一度バラバラに解体し、ブロックごとにふさわしい「音色」を割り当てていく作業を通して、シューベルトとシェーンベルクというウィーン出身の音楽家の共通点を抽出して我々聴き手に提示したかったのだろうと思います。また、シューベルトの音楽には、表現主義的な激しい表現への志向が既に見られるのだと言いたげな演奏でもあります。
こんなシューベルトのソナタ演奏は、私は初めて聴きました。そして、リトウィンの「実験」が、確かに面白いですが実際のところさほど成功しているとは思えません。時折失笑してしまう場面があるほどで、正直、理解に苦しむ演奏と言わざるを得ません。
ですが、「話のネタ」にはなる「珍盤」には違いないので、大事にとっておいて、時折怖いもの見たさで聴いてみたいと思っています。シューベルトに続けてシェーンベルクを聴くとシェーンベルクがロマンティックに聴こえ、シェーンベルクの後でシューベルトを聴くとシューベルトがモダンに聴こえるという「発見」もありましたし。こういうのもディスクとの付き合いの楽しいところですから。
・シェーンベルク:3つのピアノ曲Op.11
・シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番
・シェーンベルク:6つの小さなピアノ曲Op.19
シュテファン・リトウィン(P) (Telos)
シュテファン・リトウィンは、1960年メキシコ生まれ、主にドイツで現代音楽の演奏で活躍するピアニストで作曲家です。彼は、ラサールSQと共演したシェーンベルクや、ミヒャエル・ギーレンと共演したベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番のディスクでわずかに知られる程度かと思われますが、Telosレーベルへの"Perspective"というシリーズの第2弾として、シューベルトのピアノ・ソナタ第18,21番と、シェーンベルクのピアノ曲を組み合わせたディスクを録音しています。
これは、正直言って、「珍盤」に属する演奏ではないかと思います。
何が珍しいかというと、まずモダン・ピアノでモデレート・ペダルを使用して弾いていること。モデレート・ペダルというのは、ハンマーと弦の間にフェルトがおりてミュートされるペダル。シューベルトの時代のフォルテピアノや現代のアップライトにはついていますが、現代のコンサート・グランドではついているものはなく特注でつけたとのこと。ライナーノートによると、シューベルトはpppの部分では明らかにこのモデレートペダルを想定して書いたはずというリトウィン自身の主張に基づいての措置のようです。確かに、音量が小さくなる箇所で彼がこの弱音ペダルを踏んで、独特の音色を出しているのは明瞭に聴き取れます。普通の声で喋っていた人が突然ひそひそ声で話し出し、また普通の声に戻るような感覚なのですが、普通の声がまったく普通のモダンピアノの音色だけにとても落差が大きく、聴いていて度々失笑してしまうほど。これがフォルテピアノならばさほど違和感はないと思うのですが、リトウィンは「現代の聴衆はモダン・ピアノに慣れているから」とフォルテピアノは使わなかったそうで、恐らくこの落差こそが彼の「狙い」なのでしょう。とても変わった試みであると思います。
そして、これが「珍盤」であると思うもう一つの理由。
特に第21番の演奏に顕著なのですが、速めのテンポを基調として、一切の感傷を排した即物的な演奏であり、とても乾いた印象を抱かせる演奏であること。繰り返しを入れて18分を切る快速の第1楽章は時折暴力的とさえいえるようなフォルティッシモを聴かせ、例の左手のトリルは、激しい雨を伴う強烈な雷鳴を思わせるほど。18番はそれに比べれば幾分穏やかではありますが、ドライで情緒の乏しい演奏であることは共通しています。シェルヘンがシューベルトを弾いたらこういう演奏になったかな?という気がするくらいに「きつい」演奏です。
一方、こんなに妙なシューベルトの演奏と組み合わされたシェーンベルクは、恐らく同じようなスタンスで弾かれたものに違いないのですが、とてもまともな演奏に聴こえます。「3つの小品」では、それこそシェーンベルクの指示通りに弱音器つきペダルを使って、シェーンベルクの「音色」による音楽の構築への試みを存分に楽しんでいるかのようです。恐らくは、リトウィンはこのシェーンベルクでのモデレート・ペダルの使用をヒントに、シューベルトでも使ってみようと思い立ったに違いありません。そして、音楽を一度バラバラに解体し、ブロックごとにふさわしい「音色」を割り当てていく作業を通して、シューベルトとシェーンベルクというウィーン出身の音楽家の共通点を抽出して我々聴き手に提示したかったのだろうと思います。また、シューベルトの音楽には、表現主義的な激しい表現への志向が既に見られるのだと言いたげな演奏でもあります。
こんなシューベルトのソナタ演奏は、私は初めて聴きました。そして、リトウィンの「実験」が、確かに面白いですが実際のところさほど成功しているとは思えません。時折失笑してしまう場面があるほどで、正直、理解に苦しむ演奏と言わざるを得ません。
ですが、「話のネタ」にはなる「珍盤」には違いないので、大事にとっておいて、時折怖いもの見たさで聴いてみたいと思っています。シューベルトに続けてシェーンベルクを聴くとシェーンベルクがロマンティックに聴こえ、シェーンベルクの後でシューベルトを聴くとシューベルトがモダンに聴こえるという「発見」もありましたし。こういうのもディスクとの付き合いの楽しいところですから。