私のシューベルティアーデ(53) 〜 マンメルの「美しき水車小屋の娘」

2008.09.30 Tuesday

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    ・歌曲集「美しき水車小屋の娘」D.795(ギター伴奏版)
     ハンス・イェルク・マンメル(T)
     マティアス・クレーゲル(G) (ArcMusici)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     今、タワーレコードでOehms(エームス)レーベルのCDの激安セールをやっています。1枚あたり490円(2枚組は690円)で、目当てのディスクがあったのでノコノコとタワレコへと吸い込まれて行ったのですが、そのワゴンの中をよく見ると、ドイツのArs Musiciレーベルのディスクも同じ値段で売られていて、前から探していたディスクがあったりして何枚か衝動買いしてしまいました。

     そのうちの1枚が、今回取り上げるハンス・イェルク・マンメルの歌うシューベルトの「美しき水車小屋の娘」です。このドイツの若いテノール歌手の名前はこのところ耳にしていたし、何しろ安いので何気なく買ったのですが、家に帰ってジャケットをよく見たら伴奏がギターであることに気がつきました。

     これはしめた!と思いました。

     最近、私の中ではギターの音楽が一つのブームで、アルゼンチンのギター音楽のディスクを聴いて気に入ってから、この楽器がとても身近に感じられて何枚かCDを買って楽しんだりしているところなのです。しかも、ギター伴奏の「水車小屋」というと、往年のシュライヤーとラゴズニックの名演(来日公演もありました)の記憶も強く残っているので、とても楽しみにして聴きました。

     マンメルの歌ですが、第16曲の「好きな色」あたりから、淡い恋に破れた主人公の心の痛みがどんどん強くなり、彼が行き場のない絶望の闇へと落ち込んでいく過程の表現がとても見事で素晴らしいと思いました。主人公の「哀しみ」に深く優しく共鳴しているさまが、抑えた表現の中からも十分に伝わってきて胸に迫りました。「しおれた花」での葬送曲にも似た悲痛な心理描写、「水車屋と小川」と最後の「子守歌」での主人公への優しいいたわりの歌には涙が出てきました。

     実のところ、正直言って、彼の声質には私の心を揺り動かすほどの魅力は感じませんし、狩人が現れるまでの曲での音楽的にも未熟さの感じられる舌っ足らずな歌い口には少々がっかりしていたのです。でも、ほんとに終盤からはガラリと印象が変わりました。もしかしたら、このマンメルという歌手は、心の痛みを表現するのに長けた人なのかもしれません。だとしたら、彼が数年前に出して話題になった「冬の旅」は是非とも聴かなくてはならないなと思いました。

     そして、マティアス・クレーガーのギター伴奏(クレーガー自身の編曲)ですが、こちらもマンメルの歌と同じく、終盤での哀しみにみちた音楽でこそ、ギターの哀愁漂う音色がとてもよく活かされていて良かったです。ややコンサート向けの表現に思われたラゴズニッヒの演奏と比べ、もっと親密でひそやかに語りかけてくるような語り口で少し小ぶりな表現ですが、これはこれで魅力的な伴奏だと思いました。いくつかのパッセージでピアノ譜を簡略化している部分もありますが、まったくキズにはなっておらず、編曲も良かったです。

     これでまた「水車小屋」のお気に入りのディスクが加わりました。とても嬉しいです。

     ArsMusiciのワゴンセールでは、他に、前から買いたかったドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティックのアルバムを2枚買いました。第3楽章が28分(!)かかるベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」と、第1楽章が25分かかるシューベルトの第21番です。これも聴くのが今から楽しみです。

    私の愛聴盤 その8 〜 テルテリアン/交響曲第3番 ヘルムラート

    2008.09.29 Monday

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      ・テルテリアン/交響曲第3番
       ミヒャエル・ヘルムラート指揮ドレスデン交響楽団
       (「タジキスタン、グルジア、アゼルバイジャン、アルメニアの音楽」所収)(ArteNova)

       →詳細はコチラ(HMV/Amazon)

       このブログでは、タイトルの通りに緩い音楽についての感想を緩い口調でダラダラと書き散らしていますが、こんな私でも、たまには暴力的な音響に浸ってストレス発散したくなるような時もあります。日常生活の中で、何かや誰かに腹が立ったり、理不尽な出来事に心が皺くちゃになってしまった時など、ロック並みに激しいノリの音楽を聴いて心を沸き立たせたいと思うこと、たまにあります。

       そんな時には、ショスタコーヴィチの交響曲のやかましい楽章を聴いたり、大好きなデル・モナコの歌を聴いたり、あるいはクライバーやバーンスタインのDVDを見たりすることも多いのですが、今回取り上げるアゼルバイジャンの作曲家テルテリアンの交響曲第3番の特に第3楽章は私にとっての「特効薬」です。

       とにかくその響きの凶暴さ、野蛮さ、騒々しさは、聴いていて馬鹿馬鹿しくなるほど。冒頭の打楽器の強烈なビートとカズーを含む金管楽器の咆哮は、ショスタコやハチャトリアンも真っ青、ポポフでさえも「オレの交響曲を超えたな」と言いそうなくらいの凄まじい大音響。そのままものすごいテンションの叫びが延々8分間繰り広げられるのを聴くうち、小さなことでウジウジ悩んでいることがアホらしくなって「ま、ええか」と思えてくるのです。以前、イヤな会議が毎日のようにあった時、朝の通勤電車の中で聴いたりすると結構効果があった経験があります。

       演奏は、取り上げたヘルムラート指揮ナゾのオケのものしか聴いたことがなくて(ASVのチェクナヴォリアン盤は未入手)比較の対象がないので、これが最高かどうかは分かりませんが、この曲の激しさ、やかましさは十分に伝わってくる演奏で私は大好きです。ライヴ録音なので、演奏が終わった時の聴衆の「野蛮な」までに興奮した拍手や歓声が入っていますが、この盛り上がりようもむべなるかなと思える凄い演奏です。

       私自身は、できるだけ「分別くさい大人」になりたくないので、こういう音楽に素直に共感できる自分はあんまり失いたくないと思っています。ヨボヨボの爺さんになっても聴いていたいです、この曲。そして、ぜひともこの曲をナマで聴いてみたいです。アマ・オケでもいいですから。

      アルゼンチンの歌曲集 2つ

      2008.09.28 Sunday

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         アルゼンチンの歌曲を集めたCDを2枚聴きました。

         最初は、メゾ歌手のベルナルダ・フィンクが兄のマルコスのバリトンと、アルゼンチン出身の名女流ピアニスト、カルメン・ピアッツィーニと組んで録音した仏Harmonia Mundi盤。

        ・アルゼンチン歌曲集
         ベルナーダ・フィンク(Ms)/マルコス・フィンク(Br)
         カルメン・ピアッツィーニ(P) (仏Harmonia Mundi)


         私の大好きなグァスタヴィーノの歌曲が9曲、ブチャルドが6曲、ピアソラとカリッロが3曲など、計26曲が収録されています。
         B.フィンクは、ルネ・ヤーコブスに重用され、最近はアーノンクールとの共演も多い人で、主に古楽やドイツ・リートのディスクが多かったので、彼女がこんなアルバムを出しているとは意外でしたが、両親はスロヴェニア人ながら生まれはブエノスアイレスだそうで、アルゼンチンで音楽を学んだ人なのだそうです。
         B.フィンクはヴィブラートを抑えた透明な歌声で、音楽の様式感をきっちりと出すまじめな歌手なので、こうしたラテンのテイストに溢れた音楽と合うのか興味深いところでしたが、まったくミスマッチを感じさせず、みずみずしい歌を聴かせてくれて素晴らしいです。まるで爽やかな風が心に吹き込んでくるかのような心地よさです。
         一方、兄(弟?)のマルコス・フィンクも、軽めのつややかなバリトンで、こちらものびやかで美しい歌を聴かせてくれます。
         そして、ピアッツィーニの伴奏も、すっかり音楽を手中に収めた自由闊達な伴奏で、生真面目な2人の歌唱にちょっとしたスパイスを加えていて素敵です。
         グァスタヴィーノの歌も素晴らしい(特にマルコスの歌う「渇きの底から」は名唱です)ですし、ピアソラの辛口の歌も味があっていいです。またブチャルドの哀感にみちた歌もなかなかのもので、トータルとして聴き応えがあって、しかも聴き飽きない魅力のある名アルバムだと思います。

         さて、もう一枚は、数々のディスクで知られるアルゼンチン出身の名歌手アリシア・ナフェが歌ったOehms盤。最近、タワーレコードでは490円で安売りされているものです。ピアノ伴奏は、前掲のフィンク盤と同じくピアッツィーニ、。これにアルフレード・マルクッチのバンドネオンが加わったアンサンブルになっています。

        ・アルゼンチン歌曲集
         アリシア・ナフェ(Ms)/アルフレート・マルクッチ(バンドネオン)
         カルメン・ピアッツィーニ(P) (Oehms)


         曲目は23曲収められていますが、作曲家の顔ぶれは多彩で、グァスタヴィーノ4曲、ピアソラが5曲、その他ブチャルドやカーロに混じって、クルト・ワイルの曲が2曲、サティの「あんたがほしいの」も収録されています。
         こちらは清純派のフィンクたちの歌に比べると、より深く重みのある声でオペラティックに歌い上げたスケールの大きな表現が特徴で、曲にこめられた感情がかなり大きく表現されています。ちょっと歳上のオバサン風の歌唱ですが、その艶かしい歌い口や多彩な声を駆使した変化球の多い練れた表現にはまた別の魅力があります。ピアソラの「天使のミロンガ」などまるでオペラアリアのように聴こえますが、それはそれで面白いです。
         ワイルやサティの異種の音楽も、アルゼンチンの音楽の中で違和感なく溶け込んでいて楽しめます。グァスタヴィーノは「ミロンガ」が特に印象的、そしてピアソラは「オブリヴィオン」がとても美しいです。またブラーガのブラジル民謡による歌曲も楽しいです。
         ピアッツィーニのピアノはここでも、艶消ししたような抑えた音色が素敵で、ちょっと哀しげな楽想での沈んだ表情は美しいです。また、バンドネオンの入るピアソラの曲では、ああこれはタンゴの曲なんだと痛感し、タンゴとバンドネオンがいかに結びつきの強いものなのか思い知らされた気がします。こちらもとても楽しいアルバムでした。

         私は、こういう構成のアルゼンチン歌曲のコンサートが開かれれば是非聴きに行きたいと思います。今度、カツァリスが東京でラテン・アメリカのピアノ曲ばかりをとりあげて演奏するそうですが(しかもマラ5のアダージェットも演奏)、ピアノ曲だけでなく歌曲のコンサートを聴きたいです。

         さて、グァスタヴィーノの音楽ですが、あのアンナ・ネトレプコの新盤「思い出」の中で、「バラと柳」が取り上げられているのだそうです。ついにイエロー・レーベルにまで進出したグァスタヴィーノの音楽、もっともっと注目を浴びるようになるのでしょうね。

        ・思い出
         グァスタヴィーノ「バラと柳」所収
         アンナ・ネトレプコ(S)
         →詳細はコチラ
         

        Cello Fiesta ! 〜 クレメラータ・バルティカ

        2008.09.26 Friday

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          ・Cello Fiesta!
           マリー・エリザベス・ヘッカー(Vc)
           ギョルジ・ハラーゼ(Vc)
           クレメラータ・バルティカ (Profil)

           →詳細はコチラ(HMV/Amazon/Naxos)

          <<曲目>>
           ・ハイドン/チェロ協奏曲第1番ハ長調(ヘッカー)
           ・チャイコフスキー/カプリッチョ風小品Op.62(ハラーゼ)
           ・アザラシヴィリ/チェロと室内オケのための協奏曲(ハラーゼ)
           ・ヒナステラ/パウ・カザルスの主題による変奏曲Op.46(ハラーゼ)
           ・チック・コリア(プシュカレフ編)/ラ・フィエスタ(ヘッカー&ハラーゼ)


           ギドン・クレーメルが創設したクレメラータ・バルティカの創立10周年を記念する新盤を聴きました。内容はチェロと室内オケのための曲集で、ソリストはアンサンブルのメンバーのヘッカーと、ハラーゼの2人が分担しています。クレーメル自身は演奏には参加していないようなのですが、ライナーノートに「私がなぜ"Cello Fiesta"プロジェクトに夢中になっているか」という一文を寄せていることからも分かるように、彼がプロデューサー的役割を果たしたのは間違いありません。才能溢れるチェリスト2人を紹介するという目的もあるようです。

           私がこのディスクをわざわざ海外から取り寄せたのは、ここに収められているグルジアの作曲家ヴァージャ・アザラシヴィリ(1936-)のチェロ協奏曲をどうしても聴きたかったからです。

           アザラシヴィリというと以前このブログの「珠玉の小品」で、彼の無言歌を取り上げたことがあります。「無言歌」は、音楽的「甘党」を自認する私にはたまらない魅力を持った「甘い」音楽。深く愛しやまない曲なので、もしかしたらこのチェロ協奏曲でもそんな「猫にマタタビ」のような音楽が聴けるのではないか、そして、私の好きなクレーメルの率いる団体だから演奏も良かろう、という期待をこめて、オンラインショップの"BUY"ボタンをポチッとしました。

           予想より早くディスクが届き、まず何をしたかというと、このアザラシヴィリという人が、「無言歌」を書いた人と同一人物かどうかを確認しました。「無言歌」がおさめられたサンクト・ペテルブルク・チェロ・アンサンブルのCDの解説書とを見比べて、ファーストネームと生年が同じことを確認してまずは一安心。楽しみに聴き始めました。

           結果は、13分ほどの単一楽章の協奏曲で、聴きやすい現代音楽という印象。チェロが冒頭でチェロが「グルジア」を感じさせる妖しい雰囲気の半音階的な旋律を静かにモノローグ調で弾き始め、ヴァイオリンがそれを引き継いでトゥッティで熱く歌い上げるさまはあの「無言歌」の作曲家らしい「甘さ」は感じさせます。やがてチェロのつぶやきと弦楽の不気味な不協和音が絡みながら、突然、「ハルサイ」やショスタコの弦楽四重奏曲第8番の第2楽章を思わせるような激しいたたきつけるようなリズムの音楽が繰り広げられます。一しきりチェロとオケが暴れて冒頭の旋律が拡大されて歌われた後、だんだん静かになってだんだんつぶやきが消えていきます。最後にしめやかに歌われる諦めに満ちた旋律は哀愁に満ちた美しい音楽で心に響きます。全体を通して、不協和音や変拍子は随所に出てきますが、いわゆる「ゲンダイオンガク」ではなく、とても耳になじみやすい音楽で結構気に入りました。若いハラーゼのチェロも歌うべきところはのびのびと歌い、難しそうなパッセージでもとてもしっかりした技巧で曲に斬り込んでいくさまが心地よいです。

           さて、アザラシヴィリの音楽に続いては、私が最近興味を持っているアルゼンチンの作曲家アルベルト・ヒナステラの書いた「カザルスの主題による変奏曲」という珍しい作品。ロストロポーヴィッチがヒナステラに委嘱した作品なのだそうです。冒頭、どっかで聴いたことあるなあというような甘くて美しメロディが聴こえたと思ったら、音楽は一変して不思議なテイストのある「ゲンダイオンガク」になります。しかし、しかつめらしい晦渋な音楽などではなく、音がピチピチと弾けるような愉しさに溢れた音楽が繰り広げられていきます。そして、第4曲「歌」では、カザルスが愛奏したカタロニア民謡「鳥の歌」がチェロ独奏によってほぼそのままの形で弾かれます。ここはハラーゼのチェロの美しい音色も手伝ってとても印象に残ります。面白い曲だし、若者たちの意欲に満ち溢れた演奏も素晴らしいもの。コントラバスのソロの超絶技巧など聴きどころ満載です。

           アルバムの最後は、チェロ2台によるチック・コリアの「ラ・フィエスタ」。ビゼーの
          「カルメン」のアラゴネーズのモチーフを絡めながら楽しげなアンサンブルを聴かせてくれます。ハイドン→チャイコ→アザラシヴィリ→ヒナステラという超ごった煮アルバムの最後を締めるに相応しい曲かと思います。

           このアルバムには、他にヘッカーの弾くハイドンのチェロ協奏曲第1番、ハラーゼの弾くチャイコフスキーの「小奇想曲」が収録されています。これらはチェロ弾きにとっては日常的なレパートリーで、他の珍しい収録作品と好対照をなしています。

           ヘッカーの弾くハイドンは、アーティキュレーションが明確で透明な音色のオケが美しいし、チェロものびやかでオケとのアンサンブルを楽しむような素敵な演奏で聴かせてくれて楽しませてもらいましたが、「内輪の音楽」という趣が長所でもあり短所でもあり、というのが正直な感想です。

           一方、ハラーゼのチャイコは、ぐっと音楽が前に出てくるような強い自己主張があって、耳をそばだてさせられます。技巧的な難所も難なくクリアし、しかも美しい歌で耳を酔わせてくれるあたり、この人は只者ではないなという気がします。ジョルジ・ハラーゼという1984年グルジアのトビリシに生まれたこの若者の名前、チェックしておいた方が良いかもしれません。

           このアルバムを聴いて、クレーメルの秘蔵っ子たちは本当にのびのびと楽しそうに音楽をやっているなと思いました。アザラシヴィリの音楽を聴けたというだけでなく、本当に楽しい音楽が聴けて満足しました。

           因みに、HMVのサイトを見ると、このアルバムは10月31日に日本のショップにも入荷するそうです。また、アマゾンでは既に入手可能になっています。(私は米アマゾンで購入)

          グァスタヴィーノ/歌曲集 〜 ハラク(Ms)/ボールドウィン(P)

          2008.09.23 Tuesday

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            ・アルゼンチンの花たち 〜 グァスタヴィーノ/歌曲集
             デシレー・ハラク(Ms)/ダルトン・ボールドウィン(P) (Albany)
             →詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon)

             

             最近の私のお気に入りのアルゼンチンの作曲家、カルロス・グァスタヴィーノの歌曲集の最新CDがアメリカから届きました。ニューヨーク出身のメゾ歌手デシレー・ハラクが、有名な伴奏者ダルトン・ボールドウイン(!)の伴奏で3つの歌曲集を含む計31トラックを歌っています。今まで私が聴いた、HarmoniaMundiのフィンク盤、Oehmsのナフェ盤の2種のアルゼンチン歌曲集に収められていた曲もほぼカバーしていて、今のところ最も曲数の多い歌曲集なのかもしれません。

             75分間、ちょっとメランコリックで、ほのかな湿り気と情熱を秘めた美しい旋律の花束の香りに酔いながら、幸せな時間を過ごしました。まず何よりグァスタヴィーノの「歌」の魅力にため息が出ます。

             この「花束」たちを歌うハラクの声は、少し暗い音色で、低音にドスが効きすぎることもなく、心地よいアルゼンチンの風を(行ったことはないですけれど)運んで来てくれます。ちょっと生真面目に過ぎるかも、という抑制の効いた歌い口ですが、曲の魅力を何度も味わうにはこれくらいの薄味の方が良いかもしれません。

             有名な「鳩のあやまち」は、先日聴いたピアノ連弾版では、弾けるような速いテンポで弾かれていましたが、ハラクは結構ゆっくりしたテンポで淡々と歌っていてまるで別の曲を聴いているよう。でも、こちらの方が本当かもなと思うのは、彼女の歌が、哀愁を帯びた民話風の歌詞の内容に沿ったものだからかもしれません。その他、カシュカシアンのディスクにも収められた「バラと柳」「渇きの底から」の美しさは印象的ですし、「小さな村、私の村」「あなたのハンカチを貸して」「バラーダ」の哀感に満ちた曲調は胸に響きます。また、「兄弟のミロンガ」のような体が動き出しそうなおどけたユーモラスな曲もありますし、アルバムのタイトルになっている「アルゼンチンの花たち」という歌曲集もカーネーションなどの花への賛歌が愛らしい佳曲です。ああ、本当に愛おしい歌たちです!!まさに「アルゼンチンのシューベルト!」と呼びたくなります。

             そして、名歌手たちとの共演で名高いボールドウィンの伴奏の素晴らしいこと!実はグァスタヴィーノとは個人的に友人関係だったということで、「バラーダ」というとても美しい未出版曲(世界初録音)は、彼も作曲に関わったとのことです。ボールドウィンというと、アメリングやスゼーと組んだフォーレの歌曲や、スゼーとのシューベルトの「冬の旅」「白鳥の歌」での名サポートの印象が強いですが、水平方向に広がりがちな歌に、しっかりとラテンのリズムを刻んだり、味わいのある「合いの手」を入れたりと、歌い手の生理にぴったりと寄り添った柔軟な伴奏ぶりがまさに名匠の手によるもの。とても楽しみました。

             このAlbanyのハラク盤、タワーレコードでは入荷済みになっている割に店頭では見たことがまだなく、HMVでは9/30に発売とのことです。また、アマゾンでは既に入手可能になっています。(私は米アマゾンから入手)

             さて、グァスタヴィーノの作品を含む新譜がこれから2つほど出るようです。どちらも若い演奏家のディスクのようなので、西欧中心の価値観から解き放たれた新しい感性を持った人達がどのような演奏を聴かせてくれるか楽しみです。

            ・ウィレム・ラチュウミア〜ブラジリアン・ピアノ・リサイタル
             「バイレシート」所収(ブラジリアン・リサイタルですが・・・)
             →詳細はコチラ

            ・ステラ・グリゴリアン 〜スパニッシュ歌曲集
             「バラと柳」所収
             →詳細はコチラ

            私のシューベルティアーデ(52) 〜 コダーイSQの弦楽四重奏曲全集

            2008.09.22 Monday

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              <<シューベルト/弦楽四重奏曲全集>>
              <第1集>
               ・第14,12番

              <第2集>
               ・第13,10番

              <第3集>
               ・第9,7,3番

              <第4集>
               ・第8,1,4番

              <第5集>
               ・第2,6,11番

              <第6集>
               ・第15番、5つのドイツ舞曲

              <第7集>
               ・第5番他

               コダーイ弦楽四重奏団 (Naxos)


               このところ、毎日シューベルトの弦楽四重奏曲のディスクを聴いていました。Naxosから出ているコダーイSQの全集(全7枚分売)です。

               なぜコダーイSQのシューベルト全集を揃えたくなったかというと、これまたいつもながらのお話ですが、ネットラジオOttavaがきっかけです。Ottavaでは、今年の「ラ・フォル・ジュルネ(LFJ)」での会場からの生放送番組をやりましたが、その番組宣伝のBGMで鳴らされていたのがシューベルトの弦楽四重奏曲第1番の第2楽章で、演奏がまさにそのコダーイSQのものだったのです。私がそれまでに知っていた唯一の演奏であるメロスSQの演奏と比べると、旋律の歌い方がのびやかで柔軟性があり、音色の爽やかな明るさがとても印象的だったのです。

               これはもう全曲聴くしかないなと思い立って集め始めたのですが、まとまって売っているショップはなく、都内の複数ショップを梯子して入手しました。しかし、録音が90年代の第1、2集はCDショップの店頭で見かけることがなく、「死と乙女」と「ロザムンデ」が欠けてしまうというのは「あり得ない」訳ですのでオンラインショップArkivMusicで入手しました。

               全体を聴き通してみての印象ですが、第12番以降の後期の名作よりも、第11番以前のアットホームな雰囲気を残しつつ後年の音楽に見られる深いメランコリーの萌芽を見せる音楽での演奏に感動しました。第1番の第2楽章で感じた歌い口や音色の心地良さがどの曲でも音楽の魅力を引き出すのにとても有効だと感じました。各奏者の技量も非常に高く、しかもとてもバランスの取れた精度の高いアンサンブルになっているのも、結成から既に40年近くが経った(メンバーに変動はあるのかも)ベテランカルテットだからこそ可能なことでしょう。しかも、録音が新しいものほど演奏により深い熟成が感じられ、第1,2,6,8,10番あたりは、メロスSQの名盤と比べても遜色のない立派な演奏だと思います。

               一方、名盤ひしめく後期の曲の中では、録音の最も新しい第15番の非常によく練り上げられた演奏に魅力を感じます。ブルックナーを予告するような音楽の拡がりよりは、ベートーヴェンのような凝縮した求心性を感じさせる引き締まった造型が印象的です。
               「死と乙女」は何と47分(史上最長?)をかけてじっくりと演奏されていますが、決してべたついたり重くもたれたりすることなく、シューベルトの「哀しみ」をそくそくと表現していて胸に響きます。「ロザムンデ」も37分のスローテンポで同様の演奏です。ただ、録音時期の早いこの2曲は、より音楽の核心深くに切り込んでいくような第15番の演奏に比べると、彫りが浅いような気がするのが少し残念です。

               当全集では、弦楽四重奏曲15曲のほか、いくつかの「付け合せ」が録音されています。例えば、弦楽三重奏曲第1番や、断章D.103、序曲D.8(弦楽五重奏版)などです。このうち、D.103とD.8は、いずれもハ短調の悲劇的で激しい響きの聴かれる意欲的な音楽で、特に後者はシューベルトが14歳の時の作品と知ると、彼がいかに早熟の天才だったかをまざまざと思い知らされます。

               コダーイSQのシューベルト全集を聴いて、楽しい時間を過ごせて私は嬉しかったです。コダーイSQというと、Naxosにはシューベルト以外にもベートーヴェンやハイドンの四重奏曲(前者は全集)の録音があり、聴いてみたいと思っています。

               また、個人的には、コダーイSQの演奏を聴くのはシューベルトが初めてではなく、彼らがハンガリーのフンガロトンレーベルに録音したコダーイの弦楽四重奏曲集が、実に演奏も良く(曲も素晴らしい!)私のお気に入りの一枚です。これを機会にまた聴き直したいです。

              ・コダーイ/弦楽四重奏曲第1,2番
               コダーイ弦楽四重奏団 (Hungaroton)

              私の愛聴盤 その7 〜 ベートーヴェン/交響曲全集 マズア/LGO

              2008.09.21 Sunday

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                ・ベートーヴェン/交響曲・序曲全集
                 クルト・マズア指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
                 シントウ(S)/ブルマイスター(A)/シュライヤー(T)/アダム(Bs)
                 ライプツィッヒ&ベルリン放送合唱団
                 ドレスデン・フィル児童合唱団
                (Victor)


                 ベートーヴェンの交響曲全集というと、CDの時代になって随分買いやすくなった印象があります。'90年代初頭にケーゲルの全集が「社会主義化価格」と面白おかしく安売りされたのを嚆矢として、今や3000円前後出せば質の高い演奏を多くの選択肢の中から「気軽に」入手することができる時代になっています。そんな状況ですから、拙宅でも結構な数のベートーヴェン全集がラックを占有するようになっています。気になる演奏があるとついつい手が出てしまうのですね。

                 では、その手持ちのベートーヴェン全集の中からベスト1を挙げろ、と言われると答えに窮するのですが、一番多く聴いてきたものはどれかという質問になら答えられます。それが、今回取り上げるマズア/LGOの70年代の旧録音です。

                 理由は、実のところその演奏が最も好きだからということではありません。小学生の頃、LPで買ってもらった初めてのベートーヴェン全集だったからです。私はかぎっ子で毎日家で留守番をしていましたから、音楽を聴く時間はうなるほどあったので、毎日毎日飽きもせずマズアの全集を繰り返し聴いていたのでした。

                 本当を言えば、私はゲヴァントハウスはゲヴァントハウスでも、コンヴィチュニーの全集が欲しかったのですが、音楽に知識のない親が「間違えて」マズア盤を買ってきてくれたのでした。しかし、序曲も11曲すべて収録されていて、しかも、分厚く詳細な解説書がつき「ハイリゲンシュタットの遺書」が記された革製の豪華なBOXに魅せられて、やはり嬉しい気持ちでずっしりとした重みを楽しみました。

                 演奏ははっきり言って、その後聴いた多くの個性的な名演奏と比べてしまうと、堅実で誠実な音楽ながらどこか音楽に弱さがあるように感じて物足りません。全体に歯切れ良く前進していく音楽であるのは良いのですが、時折事務的なくらいにぶっきらぼうに魅力的な楽想を通り過ぎたりしていくのが、子供心ながらにも不満でした。その後、CDになって買い直して「再会」してもやはりその不満は消えませんでした。マズア/LGOのベートーヴェンならば、90年代の再録音の方が、より表現がこなれて円熟を感じさせる点で優れていると思います。

                 しかし、それこそレコード盤が擦り切れるくらいまでに聴き込んだ演奏ですので、今聴き直すと、聴いているうちに演奏への不満はすっかり忘れて、毎日のようにこれを聴いていた少年時代の記憶が非常に生々しく蘇ってくるのを感じます。その強烈さはめまいがしそうになるほどです。

                 彼らの演奏の何が私の古い記憶を呼び起こすかというと、その古雅で渋い「響き」です。今となってみれば「東ドイツ」でしか聴けなかったであろう、ウィーンともベルリンとも、シカゴやニューヨークとも違う「ゲヴァントハウス」にしか出せない骨太な響きが、演奏のそこかしこで強く感じられます。録音会場となったドレスデンのルカ教会の豊麗な残響もあって、ずしりとした重量感のあるフォルテが響き渡るさまはとても強く印象に残ります。

                 そして、その彼らの独特の響きに耳を傾けていると、小学校の教室や図書館、校庭の風景、そして一緒に遊んだ友達の顔、近眼で通っていた眼科の薬の匂いとか、いろんなものがリアルな形をもって私の前に立ち現れるのを感じます。あるいは、当時見ていたテレビの映像を思い出したり。(先般亡くなった赤塚不二夫の「バカボン」とか)プルーストの「失われた時を求めて」の冒頭で、主人公がマドレーヌを食べて過去を思い出すのと同じような体験をすることができます。

                 即ち、この演奏は、あまりに個人的な思い出と結びついた「愛聴盤」であって、演奏の好き嫌いや客観的な「評価」とは余り関係のない演奏であるということです。でも、音楽を聴くという行為は、自分と向き合うという行為でもある以上、むしろこうした音楽以外の記憶と結びついた聴き方があってもいいと思うし、実際、評論家でもない私はそうした「自分勝手な」聴き方こそ愉しいと思っています。

                私の愛聴盤 その6 〜 トスティ/歌曲集 カレーラス(T)

                2008.09.21 Sunday

                0
                  ・トスティ/歌曲集
                   ホセ・カレーラス(T)/ミュラー指揮イギリス室内管(Philips)


                  <<曲目>>
                  ・セレナータ
                  ・秘密
                  ・マレキアーレ
                  ・私は死にたい
                  ・魅惑
                  ・別れの歌
                  ・最後の歌
                  ・暁は光から
                  ・四月
                  ・理想の女(ひと)
                  ・夢
                  ・かわいい口もと
                  ・君なんかもう
                  ・さようなら
                  --


                   私とトスティの歌曲との出会いは、'80年代初頭にホセ・カレーラスがザルツブルグ音楽祭に出演した折のライヴ放送を聴いた時でした。「四月」「最後の歌」「君なんかもう」あたりを聴いて、トスティの歌の甘美なメロディと、当時絶好調だったカレーラスの美声にしびれてしまいました。

                   そして、そのカレーラスの歌うトスティの歌曲集のLPを買って、すっかり気に入ってしまい、CDでも買い直して四半世紀以上も私の愛聴盤になっています。伴奏は、管弦楽に編曲されていて、ミュラー指揮のイギリス室内管による演奏。1979年10月の録音です。

                   トスティの歌曲は、当時は何曲かがナポリ民謡かカンツォーネの延長くらいの軽いレパートリーとして取り上げられることが多かったようで、こうして歌曲がまとめて録音された例は少なかったと思います。これ以降、ベルゴンツィやブルゾンのディスクの発売が続き、ようやくその歌曲の魅力が広く知られるようになったと記憶しています。

                   トスティの歌曲の多くはいわゆる「ラブ・ソング」ですが、カレーラスが歌うと、その「恋の告白」は、束の間のアバンチュールを楽しむための「策略」などではなく、命がけの全身全霊をこめた「懇願」といっていいくらいの真剣さに感じ取れます。それがトスティの音楽の「粋」とは相容れないという聴き方も成立するかと思いますが、私にはその純情ささえも感じるカレーラスのひたむきさに胸を打たれます。例えば、声質や純イタリア的な歌い口からするとパヴァロッティが理想的な「トスティ歌い」だと思うのですが、彼が歌うとまるでマントヴァ公爵がジルダをたぶらかしているみたいな歌に聴こえてしまいます。カレーラスが歌うと、アンドレア・シェニエやドン・ホセ、あるいはウェルテルといった役柄のイメージの歌になり、私にはこちらの方が好ましいのです。

                   ディスクに収められた14曲の歌は、有名な曲もそうでない曲も、どれもとびきりの魅力に溢れた歌たちですが、中でも「四月」「さようなら」の2曲は私にはかけがえのない歌で、今までに何度聴いて胸を熱くしてきたことか分かりません。(「さようなら」は英語で歌われていますが、後年の「ウェストサイド」のメイキングでのバーンスタインとの確執を思い出さずにいられないブロークンな英語でご愛嬌です。)また、有名な「セレナータ」「理想の女」「魅惑」「かわいい口もと」「暁は光から」など、ほんとにため息の出るような歌ばかりです。

                   そう言えば、この演奏が録音された当時のカレーラスは、カラヤンに重用されて「ドン・カルロ」「トスカ」など重い役を歌うようになっていた頃。この1ヶ月前、東京での公演をキャンセルしてベルリンに馳せ参じてカラヤンの「トスカ」の録音に参加して、またトンボ帰りして東京で歌ったという「事件」があった頃でした。このディスクは、彼がドラマティックな役柄を歌うテノールへと変身するちょうど転換期の記録でもあるという意味で重要な意味を持っています。しかし、このディスクは廃盤で入手困難。とてももったいないと思います。

                  私の愛聴盤 その5 〜 デル・モナコ/ゴッビ/エレーデの「オテロ」

                  2008.09.16 Tuesday

                  0

                    ・ヴェルディ/歌劇「オテロ」全曲
                     マリオ・デル・モナコ(T)/ティート・ゴッビ(Br)/ガブリエッラ・トゥッチ(S)
                     アルベルト・エレーデ指揮NHK交響楽団他
                     (1959.2.7 東京宝塚劇場) (King)


                     所用があって横浜へ出た際、ちょっとした出来心で、止せばいいのに中古CDショップに立ち寄ってしまいました。中古CDショップでは「お宝」を見つけて予定外の散財してしまうことが目に見えているので、なるべく行かないようにはしていたのですが誘惑に負けてしまいました・・・。

                     今日、思いもかけず「入手してしまった」のは、1959年NHKイタリア歌劇団のライヴ録音で、有名なデル・モナコとゴッビらの歌うヴェルディの「オテロ」です。DVDでも同じ顔ぶれの映像が出ていますがそちらは2月4日の初日の公演、今日入手したCDは2月7日の公演の記録でこちらは鮮明なステレオ録音です。

                     この録音は私にはとても思い入れがあります。

                     1983年、前年に亡くなったデル・モナコ追悼の一環で、'59年と'61年のイタリア歌劇団のライヴがNHK-FMでステレオ録音で「再放送」されました。その2年前からデル・モナコの歌が大好きだった私は、全演目をエアチェックしテープを毎日のように聴いて楽しんでいました。そして、「オテロ」は、LP化された時に購入しそれこそ「擦り切れる」くらいに聴きました。

                     デル・モナコの「オテロ」というと、既にカラヤン盤のLPを持っていてそちらも相当に愛聴していたのですが、やはり、ライヴで完全燃焼するモナコの歌の迫力、そして、ヤーゴ役のゴッビの役者ぶり、当時のヘタクソなN響から引き締まった歌を引き出したエレーデの指揮に魅せられ、こちらの方を好んでおりました。(あとはクライバーとドミンゴの来日ライヴもよく聴いてましたけれど。)このディスクが後にCD化されたときには値段が高くて手が出ないまま、気がついたら廃盤になってしまいました。DVDは入手したのですがモノラル録音ですし、CDを買い逃したことを悔やんでいて、中古CD屋に行くとまず探すアイテムの一つでした。そして、今日、やっと入手できたという訳です。

                     デル・モナコの歌うオテロには、今や彼の生前のような賞賛よりも批判の方が多いのかもしれません。プラシド・ドミンゴのもっと音楽的に完璧で、もっと理知的なオテロを知ってしまうと、モナコは声楽的にも不安定で、表現も直情的に過ぎる気もしなくはありません。そして、余りにも「モナコのオテロ」に過ぎるのかもしれません。

                     ですが、私は、モナコの声を聴いていると、一切の理性が麻痺してしまい、ただただその力強い声の前にひれ伏すしかなくなってしまいます。彼がいかにミスマッチなロドルフォのアリアを歌おうが、どう聴いてもドイツ音楽に聴こえないジークムントを歌おうが、妙ちくりんな英語の「トゥナイト」を歌おうが、彼の声をひとたび聴いてしまえば一切の思考が停止して、彼の声に酔いしれてしまいます。ですから、他の人が、彼のオテロがいかに一面的な解釈だと批判しようと、もっと他にもいいオテロ歌手がいると言おうと、「私にとってはオテロはモナコが最高!」という考えは曲げられないでしょう。

                     今回久々に聴いた1959年の東京でのオテロは、ゴッビという最高のヤーゴ役も得て、彼のほぼベストフォームの歌唱になっていると思います。オテロの独唱場面での素晴らしさも去ることながら、第2幕の幕切れのゴッビとの「神かけて誓う」の息を呑むような丁々発止のやりとりは他の演奏では聴けません。モナコの初日の公演で見られた「息切れ」もなく(第2幕はテノールへの負担が相当重いらしく、実演でドミンゴの「息切れ」も目撃したことがあります)、ここでは絶好調の2人の歌が聴けます(最後のハモリがずれたのはご愛嬌)。また、デズデモナのトゥッチも清楚な歌が素晴らしくてなかなか良いです。そして、エレーデの指揮が良いのもあるでしょうが、オケや合唱も、いかに技術が怪しくとも、世界の名歌手に伍して音楽を奏でようという当時の日本の演奏家達の凄まじい熱気に心打たれます。更に付け加えれば、まだステレオ録音の普及途上にあった時期、「世界遺産」クラスの演奏をこんなにHiFiな録音で残してくれたNHKの技術力に感謝します。

                     と、そんなこんなで一気に全曲を聴き通してしまいました。聴き慣れた大切な音楽と久しぶりに再会(20年ぶり!)できて私はとても幸せです!!

                     でも、贅沢を言わせてもらえれば、「道化師」や「アンドレア・シェニエ」も含めて、リマスターして再発売してくれないものでしょうか。

                    グァスタヴィーノ/ピアノ曲集 デュオ・モレノ=カペリ

                    2008.09.13 Saturday

                    0
                      ・グァスタヴィーノ/ピアノ曲集
                       デュオ・モレノ=カペリ(P)(ヘクトル・モレノ&ノルベルト・カペリ) (Marco Polo)

                       

                      <<曲目リスト>>
                      ・ロマンス・デル・プラタ(連弾のためのソナチネ)
                      ・3つのアルゼンチンのロマンス(連弾)
                      ・バイレシート(連弾)
                      ・ガト(連弾)
                      ・平原(連弾)
                      ・鳩のあやまち(連弾)
                      ・シエスタ 3つの前奏曲(独奏)
                      ・ラ・プレセンシアスから2曲(独奏)
                       (曲名はコチラのHPを参考にさせていただきました)


                       以前のエントリーで、ジョーンズ独奏によるグァスタヴィーノのピアノ曲全集を取り上げましたが、そこで「廃盤」と書いたデュオ・モレノ=カペリによるMarcoPolo盤が海外のアウトレットショップで簡単に入手できました。このディスクの中の「ルドヴィーナ」が、ネットラジオOttavaでしばしばオンエアされていて、私もこれを聴いてグァスタヴィーノの音楽に強い関心を持つようになったのです。

                       このアルバムには、ピアノ2台の連弾曲が6曲(10トラック)、独奏曲が2曲(5トラック)が収録されています。連弾曲のうち、「バイレシート」「ガト」は作曲者自身による独奏曲からの編曲、「平原」はヴァイオリン曲、「鳩のあやまち」は歌曲からの編曲です。

                       さて、このアルバム、余り知られていない(と思われる)のが本当に本当にもったいない、というか、信じられないくらい素敵なものです。曲もどれも素晴らしいし、演奏もグァスタヴィーノの親しげでやわらかな笑顔に満ちた音楽の魅力を存分に引き出したものです。独奏曲をジョーンズの全集盤と比べてみると、こちらのデュオ・モレノ=カペリの方が、より情熱的で湿り気を帯びた濃厚な表情を持っていて、より「南米」を強く意識させてくれます。もしかしたら、アルゼンチン出身の彼ら自身の持つDNAがこうした演奏を可能にしているのかもしれません。

                       しつこいようですが、本当に愛おしくなるような歌心にあふれた佳品ばかりです。

                       例えば、「平原」の、夕日を見ながら過ぎた一日を思い起こし、満ち足りた気分で太陽に別れを告げるような優しい歌。

                       例えば、「鳩のあやまち」の楽しげでやがて哀しくなるようなお洒落なおしゃべり。

                       グァスタヴィーノが最後に書いたピアノ曲となった「ロマンス・デル・プラタ」の宝石のような輝きはいかばかりでしょうか!!冒頭からして、静かで胸の痛くなるような切なさを帯びた旋律はただただ美しいとしか言いようがありません。そして、あふれ出る思いが時には涙へと、時には微笑みへと変容していくさまは、繊細な心の襞をそのまま鏡に写し出したかのようです。あたたかな孤独に包まれて、幸せな気分に浸ることができます。一転、第3楽章ロンドの「踊り」は聴いていて体が動き出しそうなくらいの愉しさ。と言っても、歌に満ちた「横ノリ」音楽であるあたり、まさにシューベルトの音楽みたいです。

                       そして、私がグァスタヴィーノと出会うきっかけとなった「ルドヴィーナ」。モレノとカペッリのどちらが弾いているのかクレジットにはありませんが、一時期ottavaで聴き慣れた演奏ということもあって、親しい友人に再会したかのような気分です。ジョーンズの演奏も品格のあるもので素晴らしかったですが、私はこのMarco Polo盤の方がより糖度と湿度が高く濃厚な味わいがあって好きです。

                       このディスク、間違いなく私の愛聴盤になると思います。

                       ココのページで当ディスクの試聴ができますが、海外のネットショップからしか入手不可能なのが残念です。Marco Poloレーベルのディスクは、最近はNaxosが移行発売しているので、このグァスタヴィーノのCDも発売すればいいのにと思います。私が「予言」しますが、きっとこれからグァスタヴィーノの音楽への注目度がアップするでしょうから!(というより、既に演奏家の間で注目度が上がっているのは明らかなのです)

                       ところで、グァスタヴィーノつながりで、最近、アルゼンチンの音楽を多く聴くようになりました。ファリャやグラナドスも聴いているので、「スペイン語圏」「ラテン系」音楽とくくった方が良いかもしれません。これから、いくつか聴いたディスクの感想をメモっておこうと思っています。