マーラー/交響曲第6番 ジンマン/チューリッヒ・トーンハレ管
2008.11.30 Sunday
・マーラー/交響曲第6番「悲劇的」
デイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団 (BMG)
→詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon)
2008年を生きる私たちには、どうしても忘れられない光景があります。そう、9.11の同時多発テロでのニューヨーク世界貿易センタービルの崩壊の光景。あの時、突然飛行機2機が相次いでつっこんできて、あっという間にモダンなガラス張りの超高層ビルが崩れ落ちていくのをリアルタイムで見て(映像でですが)、一体私たちは何という時代に生きているのだろうと、言い知れないほど大きな衝撃を受けたのを今でも生々しく記憶しています。
ジンマンのマーラーのCDの感想を書くのに、どうしてそんな話を持ち出したかというと、彼らの演奏を聴いた時に感じたものが、あのテロの凄惨な場面を見た時の感覚と、どこか共鳴するところがあったからです。
彼らのマーラーは、混じりけのない透明な響きが際立っていて、音楽の展開も過剰な身ぶりを排したごく純音楽的なもので、その透徹した美しさゆえにまるで精巧なガラス細工を見るような感覚があります。しかし、それゆえに、終楽章での絶望的なカタストロフに至って、今まで大事に扱ってきたガラスが粉々に砕け、無数の破片が飛び散っていくさまが鮮やかに視覚化されたような音楽になっていて驚きます。(実際、凄まじいハンマーの音です)第1楽章から入念に緻密にガラス張りの建物を構築して、その中に生きる人間の心理をスケルトンのように表現しながら、最後のハンマーの打撃でそれを一切合切壊してしまう、そんな音楽。
それ自体は、一瞬「滅びの美学」などという言葉をあてはめてみたくなるくらい危険な美しさを持っているのですが、しかし、その奥には恐ろしい「現実」、つまり、人間が直面しなければならない「死」というものが横たわっている。ジンマンは、その「死」を目の前にした人間の恐怖や哀しみを、胸を締め付けられるような強烈な「痛み」として表現しているように私は思えました。そんな音楽から、私の脳裏に何かフラッシュバックされるものがあったように思えたのですが、それが何かがようやく今日になって、9・11の場面だったのだと分かったという次第です。勿論、マーラーの6番が、何か予言めいたものを孕んでいたなどとは言うつもりはありませんが、でも、作曲当時の彼の心の中にあった「危機」が、100年を経た今でも今日的であり続けるということなのではないかと思っています。
このジンマンとトーンハレの6番、十分に高いレベルを誇る演奏だと思いますが、それ以上に私という聴き手の生きる「今」を強烈に意識させてくれたのが素晴らしいと思いました。きっと彼らは、マーラーの音楽の「読み替え」をしようとしたわけではないでしょうけれど、音楽をひたむきなまでに純化させた演奏だからこそ、私の中のイメージを広げてくれたのだろうと思っています。
彼らのマーラーは既発売の1〜4番の演奏にはあまり心が動きませんでしたが、前作の5番の「哀しみ」で塗りつくされたような美しい演奏に感動して、ここに来てまた6番で心を打たれました。彼らの7番以降の交響曲(10番のクック版含む)の演奏が、一体どんなことになるかとても楽しみです。もっとも、世評はあんまり高くないみたいですけれど。
私自身、このところマーラーには食傷気味だったのですが、先日のウィッグルスワースの同じ6番に続き、心の動くマーラーを聴けてとても嬉しかったです。
デイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団 (BMG)
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2008年を生きる私たちには、どうしても忘れられない光景があります。そう、9.11の同時多発テロでのニューヨーク世界貿易センタービルの崩壊の光景。あの時、突然飛行機2機が相次いでつっこんできて、あっという間にモダンなガラス張りの超高層ビルが崩れ落ちていくのをリアルタイムで見て(映像でですが)、一体私たちは何という時代に生きているのだろうと、言い知れないほど大きな衝撃を受けたのを今でも生々しく記憶しています。
ジンマンのマーラーのCDの感想を書くのに、どうしてそんな話を持ち出したかというと、彼らの演奏を聴いた時に感じたものが、あのテロの凄惨な場面を見た時の感覚と、どこか共鳴するところがあったからです。
彼らのマーラーは、混じりけのない透明な響きが際立っていて、音楽の展開も過剰な身ぶりを排したごく純音楽的なもので、その透徹した美しさゆえにまるで精巧なガラス細工を見るような感覚があります。しかし、それゆえに、終楽章での絶望的なカタストロフに至って、今まで大事に扱ってきたガラスが粉々に砕け、無数の破片が飛び散っていくさまが鮮やかに視覚化されたような音楽になっていて驚きます。(実際、凄まじいハンマーの音です)第1楽章から入念に緻密にガラス張りの建物を構築して、その中に生きる人間の心理をスケルトンのように表現しながら、最後のハンマーの打撃でそれを一切合切壊してしまう、そんな音楽。
それ自体は、一瞬「滅びの美学」などという言葉をあてはめてみたくなるくらい危険な美しさを持っているのですが、しかし、その奥には恐ろしい「現実」、つまり、人間が直面しなければならない「死」というものが横たわっている。ジンマンは、その「死」を目の前にした人間の恐怖や哀しみを、胸を締め付けられるような強烈な「痛み」として表現しているように私は思えました。そんな音楽から、私の脳裏に何かフラッシュバックされるものがあったように思えたのですが、それが何かがようやく今日になって、9・11の場面だったのだと分かったという次第です。勿論、マーラーの6番が、何か予言めいたものを孕んでいたなどとは言うつもりはありませんが、でも、作曲当時の彼の心の中にあった「危機」が、100年を経た今でも今日的であり続けるということなのではないかと思っています。
このジンマンとトーンハレの6番、十分に高いレベルを誇る演奏だと思いますが、それ以上に私という聴き手の生きる「今」を強烈に意識させてくれたのが素晴らしいと思いました。きっと彼らは、マーラーの音楽の「読み替え」をしようとしたわけではないでしょうけれど、音楽をひたむきなまでに純化させた演奏だからこそ、私の中のイメージを広げてくれたのだろうと思っています。
彼らのマーラーは既発売の1〜4番の演奏にはあまり心が動きませんでしたが、前作の5番の「哀しみ」で塗りつくされたような美しい演奏に感動して、ここに来てまた6番で心を打たれました。彼らの7番以降の交響曲(10番のクック版含む)の演奏が、一体どんなことになるかとても楽しみです。もっとも、世評はあんまり高くないみたいですけれど。
私自身、このところマーラーには食傷気味だったのですが、先日のウィッグルスワースの同じ6番に続き、心の動くマーラーを聴けてとても嬉しかったです。