珠玉の小品 その21 〜 ゴダール/ジョスランの子守歌
2008.12.28 Sunday
・ゴダール/ジョスランの子守歌
オンドレイ・レナルト指揮スロヴァキア放送響 (Avex)
→詳細はコチラ(HMV)
恥ずかしながら、有名な「ジョスランの子守歌」を最近になって初めて聴きました。かなり昔から代表的な子守歌の一つとして広く知られる曲ですから、私も名前くらいは知っていたのですが、なぜか聴く機会に恵まれませんでした。ディスクでも、例えばリタ・シュトライヒやプラシド・ドミンゴ、あるいはカザルスやゲリー・カーなど名演奏家の録音はあるようですが、普通は「子守歌全集」とか「おやすみクラシック」とか、「郷愁の唱歌集」みたいな企画モノでしか聴けないからなのだと思います。ふだんはこういうCD買いませんから。
私自身の反省として、そのテのアルバムに入っている曲というと、通俗的で余り価値のない音楽として軽視してしまいがちです。しかし、曲名を知らない状態でこの子守歌がラジオで流れるのを聴き、ああ、味わいのあるとても良い曲だなあと思ったら、それが「ジョスランの子守歌」だと知ってとても驚きました。そして、今までずっとこの曲を知らずに来たことがもったいなく思われました。
冒頭から日本の例えば「五木の子守歌」を思わせるような短調の哀しげな旋律が一しきり歌われた後、安らぎに満ちた優しい歌が心にすんなり入ってきて心地良いです。西洋音楽にあまり触れたことのなかった時代の日本でもこの曲が特に愛好されたのは、どこか日本人の感性を共鳴させるような旋律の美しさのためなのでしょう。何となく懐かしいような、親しみのある音楽です。
古くから唱歌として歌われた「ジョスランの子守歌」の歌詞は以下のようなものだそうです。
こういう文語調の格調高い詩を読むと、明治の頃、日本が西洋音楽を懸命に取り入れようとした頃の雰囲気を垣間見るような思いがします。そして、やはり子守歌にはマリア様がとってもよく似合うというところでしょうか。
この「ジョスランの子守歌」は19世紀後半にフランスで活躍したゴダール作のオペラの中の曲ということですが、「ジョスラン」というオペラは今演奏される機会はあるのでしょうか。一体どんなオペラだったのか、ちょっと気になります。
さて、私が聴いたレナルト指揮のNaxos原盤の演奏では、冒頭はフルート2本の淋しげな重奏で始まり、主旋律はヴァイオリン独奏でしみじみと歌うようにアレンジされていますが、伸びやかで潤いのある歌を聴かせてくれて素晴らしい演奏で、とても気に入って何度も聴いています。
世知辛いニュースばかりで重くなった心を、この心優しい歌で鎮めて眠りにつきたいと思います。
オンドレイ・レナルト指揮スロヴァキア放送響 (Avex)
→詳細はコチラ(HMV)
恥ずかしながら、有名な「ジョスランの子守歌」を最近になって初めて聴きました。かなり昔から代表的な子守歌の一つとして広く知られる曲ですから、私も名前くらいは知っていたのですが、なぜか聴く機会に恵まれませんでした。ディスクでも、例えばリタ・シュトライヒやプラシド・ドミンゴ、あるいはカザルスやゲリー・カーなど名演奏家の録音はあるようですが、普通は「子守歌全集」とか「おやすみクラシック」とか、「郷愁の唱歌集」みたいな企画モノでしか聴けないからなのだと思います。ふだんはこういうCD買いませんから。
私自身の反省として、そのテのアルバムに入っている曲というと、通俗的で余り価値のない音楽として軽視してしまいがちです。しかし、曲名を知らない状態でこの子守歌がラジオで流れるのを聴き、ああ、味わいのあるとても良い曲だなあと思ったら、それが「ジョスランの子守歌」だと知ってとても驚きました。そして、今までずっとこの曲を知らずに来たことがもったいなく思われました。
冒頭から日本の例えば「五木の子守歌」を思わせるような短調の哀しげな旋律が一しきり歌われた後、安らぎに満ちた優しい歌が心にすんなり入ってきて心地良いです。西洋音楽にあまり触れたことのなかった時代の日本でもこの曲が特に愛好されたのは、どこか日本人の感性を共鳴させるような旋律の美しさのためなのでしょう。何となく懐かしいような、親しみのある音楽です。
古くから唱歌として歌われた「ジョスランの子守歌」の歌詞は以下のようなものだそうです。
ジョスランの子守歌 近藤朔風詩
むごきさだめ 身に天降(あも)りて
汝(なれ)と眠る のろわれの夜(よ)
胸のうれい ゆめに忘れん
祈らばや ゆらぐ星のもと
夢のまきまきに あこがれよ み空へ
眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中(さよなか)
あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ
愛のつばさに おおわれつ
わが来(こ)し方(かた) かえりみれば
流れたゆとう 波にも似たり
あわれいく日(ひ) 祈りに泣きぬ
夢のまきまきに あこがれよ み空へ
眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中
あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ
こういう文語調の格調高い詩を読むと、明治の頃、日本が西洋音楽を懸命に取り入れようとした頃の雰囲気を垣間見るような思いがします。そして、やはり子守歌にはマリア様がとってもよく似合うというところでしょうか。
この「ジョスランの子守歌」は19世紀後半にフランスで活躍したゴダール作のオペラの中の曲ということですが、「ジョスラン」というオペラは今演奏される機会はあるのでしょうか。一体どんなオペラだったのか、ちょっと気になります。
さて、私が聴いたレナルト指揮のNaxos原盤の演奏では、冒頭はフルート2本の淋しげな重奏で始まり、主旋律はヴァイオリン独奏でしみじみと歌うようにアレンジされていますが、伸びやかで潤いのある歌を聴かせてくれて素晴らしい演奏で、とても気に入って何度も聴いています。
世知辛いニュースばかりで重くなった心を、この心優しい歌で鎮めて眠りにつきたいと思います。
珠玉の小品 その20 〜 シベリウス/もみの木
2008.12.14 Sunday
・シベリウス/もみの木(「樹の組曲」Op.75-5)
舘野泉(P) (Finlandia)
(「北の調べ〜フィンランド・ピアノ名曲集」所収)
→詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon)
クリスマスが近づいてきて、あちこちでクリスマスツリーを見かけるようになりました。街中が「もみの木」だらけ(人工のものがほとんどでしょうけれど)です。
「もみの木」を題材にした音楽というと、一般的にはクリスマス・キャロルとして知られる歌が有名でしょうけれど、クラシック・ファン、それも特にピアノを弾く人たちや北欧音楽のファンの間では、やはりシベリウスのピアノ曲「もみの木」が最も親しみのある音楽なのではないでしょうか。
この曲は、全部で5曲からなる「樹の組曲」の第5曲目にあたります。私が持っているCDの解説によると、フィンランドでは常緑樹である「もみの木」は生命の永遠性を象徴するもとして愛されているのだそうです。暗い北欧の冬にあっては、いつまでも緑の葉をつけたままでいる「もみの木」の姿は、多くの人の心を励ましたり和ませたりするものなのでしょう。
シベリウスも、そんな愛すべき「もみの木」への思いをこの曲にこめたのでしょうが、彼の脳裏に浮かんだ「もみの木」の姿とは、私達がまさにこの季節によく目にする、いささか浮かれた祝祭気分を醸成する、ゴテゴテと飾り立てられた「クリスマスツリー」とは無関係で、一面の雪の中でポツンと一本だけ凛とした姿で立つ「モミの木」の姿であろうと思います。冒頭で提示される静謐で淋しげな旋律が、後半、左手の低音で歌われるときには、「もみの木」が、氷点下の厳寒の中でひりつくような孤独をかみしめながら歌を歌っているようにさえ思えます。また、中間部のさざめくようなアルペジオでは、強い風が吹いてもびくともせずしっかりと大地に立ち続けている「もみの木」の映像が思い浮かびます。そんな「もみの木」の姿に自分を重ねてみると、「あたたかな孤独」を共有する思いがして、私はとても好きな曲です。決して、一般的に言うクリスマス向きの曲ではないですが、クリスマス商戦真っ只中の街で時間を過ごした後には、この曲を聴いて心を透明にしたいと思ったりします。
この曲を愛好する多くの方と同様に、私も舘野泉さんの演奏したCDを愛聴しています。舘野さんがこの曲の楽譜で解説を書かれているのですが、そこに書かれた言葉をありありと思い起こさせるようなファンタジーあふれる演奏。上で述べたようなこの曲の「魅力」を、あたたかい共感と愛情をもって引き出してくれた素晴らしい演奏だと思います。
シベリウスのピアノ作品、他にもいろいろといい曲があるのだと最近気がつきました。「もみの木」以外では、「叙情的瞑想」Op.40という曲にハマっていて、特にその中の「小さなセレナード」という曲がお気に入りです。世知辛いことばかり起こる今だからこそ、こういう音楽を聴いて心を鎮めたいと思います。
因みに、ここで取り上げた「北の調べ」というアルバム、私の大好きなカスキの「前奏曲」を始め、メリカント、メラルティンらの愛すべき小品が収録されていて、とっておきの愛聴盤でもあります。
舘野泉(P) (Finlandia)
(「北の調べ〜フィンランド・ピアノ名曲集」所収)
→詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon)
クリスマスが近づいてきて、あちこちでクリスマスツリーを見かけるようになりました。街中が「もみの木」だらけ(人工のものがほとんどでしょうけれど)です。
「もみの木」を題材にした音楽というと、一般的にはクリスマス・キャロルとして知られる歌が有名でしょうけれど、クラシック・ファン、それも特にピアノを弾く人たちや北欧音楽のファンの間では、やはりシベリウスのピアノ曲「もみの木」が最も親しみのある音楽なのではないでしょうか。
この曲は、全部で5曲からなる「樹の組曲」の第5曲目にあたります。私が持っているCDの解説によると、フィンランドでは常緑樹である「もみの木」は生命の永遠性を象徴するもとして愛されているのだそうです。暗い北欧の冬にあっては、いつまでも緑の葉をつけたままでいる「もみの木」の姿は、多くの人の心を励ましたり和ませたりするものなのでしょう。
シベリウスも、そんな愛すべき「もみの木」への思いをこの曲にこめたのでしょうが、彼の脳裏に浮かんだ「もみの木」の姿とは、私達がまさにこの季節によく目にする、いささか浮かれた祝祭気分を醸成する、ゴテゴテと飾り立てられた「クリスマスツリー」とは無関係で、一面の雪の中でポツンと一本だけ凛とした姿で立つ「モミの木」の姿であろうと思います。冒頭で提示される静謐で淋しげな旋律が、後半、左手の低音で歌われるときには、「もみの木」が、氷点下の厳寒の中でひりつくような孤独をかみしめながら歌を歌っているようにさえ思えます。また、中間部のさざめくようなアルペジオでは、強い風が吹いてもびくともせずしっかりと大地に立ち続けている「もみの木」の映像が思い浮かびます。そんな「もみの木」の姿に自分を重ねてみると、「あたたかな孤独」を共有する思いがして、私はとても好きな曲です。決して、一般的に言うクリスマス向きの曲ではないですが、クリスマス商戦真っ只中の街で時間を過ごした後には、この曲を聴いて心を透明にしたいと思ったりします。
この曲を愛好する多くの方と同様に、私も舘野泉さんの演奏したCDを愛聴しています。舘野さんがこの曲の楽譜で解説を書かれているのですが、そこに書かれた言葉をありありと思い起こさせるようなファンタジーあふれる演奏。上で述べたようなこの曲の「魅力」を、あたたかい共感と愛情をもって引き出してくれた素晴らしい演奏だと思います。
冒頭。地の底から、或いは記憶の底からゆっくりと吹きのぼってくる風のように。
フェルマータの部分。深い沈黙を大事に。心がどこか遠くにいってしまうように。
シベリウスのピアノ作品、他にもいろいろといい曲があるのだと最近気がつきました。「もみの木」以外では、「叙情的瞑想」Op.40という曲にハマっていて、特にその中の「小さなセレナード」という曲がお気に入りです。世知辛いことばかり起こる今だからこそ、こういう音楽を聴いて心を鎮めたいと思います。
因みに、ここで取り上げた「北の調べ」というアルバム、私の大好きなカスキの「前奏曲」を始め、メリカント、メラルティンらの愛すべき小品が収録されていて、とっておきの愛聴盤でもあります。
珠玉の小品 その19 〜 ジスモンチ/水とワイン
2008.10.05 Sunday
・ジスモンチ/水とワイン
(「ブラジルのギター音楽集」より)
グレアム・アンソニー・デヴァイン(G) (Naxos)
→詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon/Naxos)
いやあ、凄かった!
何が凄かったって、昨日テレビでみた、エグベルト・ジスモンチの来日公演です。素晴らしい音楽に、素晴らしい演奏。HDDレコーダーを修理に出していて録画できなかったこともあり、2時間画面に釘付けになってじっくり、たっぷり楽しみました。
ブラジルの作曲家兼パフォーマーであるジスモンチの音楽は、例によってOttavaで知りました。昨年、今年と2年連続の来日にあたっては、プレゼンターで評論家の林田直樹氏を始め、それはもうジスモンチの話や音楽が連日オンエアされていて、仕事のBGMにしているうちにすっかりジスモンチの音楽に洗脳されてしまったわけです。
ジスモンチは、若い頃に単身フランスに渡り、名教師でもあったナディア・ブーランジェの元で作曲を学んだ人です。つまり、音楽活動の出発点はクラシックでした。しかし、彼女から是非ブラジルに帰ってブラジル人としてのアイデンティティを持った音楽を書くようにと勧められ、その後は、ブラジルの伝統的な舞踊音楽の要素を色濃く反映させた音楽を書き、独特の奏法によるピアノとギターの卓抜な演奏で知られて来ました。
「生きた伝説」とも言える大きな存在となった彼が来日するとあって、演奏会のチケットはほぼ即日完売。テレビに映った客席を見てもほぼ満員状態。ですが、彼の名前は、クラシック・ファンの間ではあまり知られていない、話題にも上らないのではないかと思います。私も30年以上クラシック・ファンをやっていて、レコ芸も毎月読んでいますが、ジスモンチの名前を始めて知ったのがOttavaでした。
確かに、クラシックという枠に収まりきらず、ジャズやポップ、そしてブラジルの民族音楽を「混血」させたような音楽は、もしかしたら生粋のクラシック・ファンにはあまり馴染みもなければ関心も惹かないのかもしれません。
でも、ジスモンチの音楽は、例えばストラヴィンスキー(特に新古典派主義時代)やバルトーク、あるいはジスモンチの大先輩ヴィラ=ロボスの音楽に馴染みのあるファンなら、何の抵抗もなくすんなりと受け容れられるものではないかと思います。かく言う私がそうで、すっかり彼の音楽、そして超絶技巧を駆使したプレイに魅了されてしまっています。CDショップのクラシックコーナーでつまらないクロスオーバーアルバムがかけられたりすると、「ああ、ここでジスモンチのCDかけたらみんなレジに殺到するだろうに」と思ったりします。
ということで、今日の「珠玉の小品」は、ジスモンチの音楽の中から、特に私の好きな「水とワイン」を取り上げたいと思います。「サウダージ」という言葉が本当にぴったりくる哀切感に満ち溢れた、静かで美しい宝石のような音楽。その宝石は、小粒だけれど眩いばかりの輝きを放っています。時折Ottavaでもオンエアされている昨年来日時の彼自身のライヴ音源が素晴らしいのですが(というか、まだジスモンチ初心者で自身のCDは未所有)、私の持っているデヴァインのギター版を取り上げておきます。ブローウェルの「11月のある日」でも取り上げたギタリストですが、ジスモンチの曲にある「哀切」を、しみいるような静かであたたかな情感をもって弾いてくれていて嬉しいです。とても胸に響いてくる演奏だと思います。
ジスモンチが次に来日してくれる日には、是非ナマを聴きたいと思います。
(「ブラジルのギター音楽集」より)
グレアム・アンソニー・デヴァイン(G) (Naxos)
→詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon/Naxos)
いやあ、凄かった!
何が凄かったって、昨日テレビでみた、エグベルト・ジスモンチの来日公演です。素晴らしい音楽に、素晴らしい演奏。HDDレコーダーを修理に出していて録画できなかったこともあり、2時間画面に釘付けになってじっくり、たっぷり楽しみました。
ブラジルの作曲家兼パフォーマーであるジスモンチの音楽は、例によってOttavaで知りました。昨年、今年と2年連続の来日にあたっては、プレゼンターで評論家の林田直樹氏を始め、それはもうジスモンチの話や音楽が連日オンエアされていて、仕事のBGMにしているうちにすっかりジスモンチの音楽に洗脳されてしまったわけです。
ジスモンチは、若い頃に単身フランスに渡り、名教師でもあったナディア・ブーランジェの元で作曲を学んだ人です。つまり、音楽活動の出発点はクラシックでした。しかし、彼女から是非ブラジルに帰ってブラジル人としてのアイデンティティを持った音楽を書くようにと勧められ、その後は、ブラジルの伝統的な舞踊音楽の要素を色濃く反映させた音楽を書き、独特の奏法によるピアノとギターの卓抜な演奏で知られて来ました。
「生きた伝説」とも言える大きな存在となった彼が来日するとあって、演奏会のチケットはほぼ即日完売。テレビに映った客席を見てもほぼ満員状態。ですが、彼の名前は、クラシック・ファンの間ではあまり知られていない、話題にも上らないのではないかと思います。私も30年以上クラシック・ファンをやっていて、レコ芸も毎月読んでいますが、ジスモンチの名前を始めて知ったのがOttavaでした。
確かに、クラシックという枠に収まりきらず、ジャズやポップ、そしてブラジルの民族音楽を「混血」させたような音楽は、もしかしたら生粋のクラシック・ファンにはあまり馴染みもなければ関心も惹かないのかもしれません。
でも、ジスモンチの音楽は、例えばストラヴィンスキー(特に新古典派主義時代)やバルトーク、あるいはジスモンチの大先輩ヴィラ=ロボスの音楽に馴染みのあるファンなら、何の抵抗もなくすんなりと受け容れられるものではないかと思います。かく言う私がそうで、すっかり彼の音楽、そして超絶技巧を駆使したプレイに魅了されてしまっています。CDショップのクラシックコーナーでつまらないクロスオーバーアルバムがかけられたりすると、「ああ、ここでジスモンチのCDかけたらみんなレジに殺到するだろうに」と思ったりします。
ということで、今日の「珠玉の小品」は、ジスモンチの音楽の中から、特に私の好きな「水とワイン」を取り上げたいと思います。「サウダージ」という言葉が本当にぴったりくる哀切感に満ち溢れた、静かで美しい宝石のような音楽。その宝石は、小粒だけれど眩いばかりの輝きを放っています。時折Ottavaでもオンエアされている昨年来日時の彼自身のライヴ音源が素晴らしいのですが(というか、まだジスモンチ初心者で自身のCDは未所有)、私の持っているデヴァインのギター版を取り上げておきます。ブローウェルの「11月のある日」でも取り上げたギタリストですが、ジスモンチの曲にある「哀切」を、しみいるような静かであたたかな情感をもって弾いてくれていて嬉しいです。とても胸に響いてくる演奏だと思います。
ジスモンチが次に来日してくれる日には、是非ナマを聴きたいと思います。
珠玉の小品 その18 〜 ブローウェル/11月のある日
2008.10.03 Friday
・ブローウェル/11月のある日
(「ブローウェルギター音楽作品集Vol.3)
グレアム・アンソニー・デヴァイン(G) (Naxos)
→詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon/Naxos)
珠玉の小品というカテゴリーのエントリーが、最近Naxosのディスクに占領されています。理由は至って簡単、仕事をしながらネットラジオOttavaを聴いていて、気に入った「小品」が収められたNaxosのCDを買って聴いているからです。
そのおかげで、Naxosのディスクが増えたというだけでなく、Ottavaがフィーチャーしている中南米を中心としたラテン系の音楽を聴くことが多くなりました。アルゼンチンやブラジル、そしてスペインの音楽。すると、今まではほとんど見向きもしなかったギターの作品に関心が高くなってきて、何枚かCDを買い込んでは楽しんで聴いています。以前取り上げた「アルゼンチンのギター音楽」でのプホールの作品もそうです。
そして、今回取り上げるのは、キューバ出身のギタリストで指揮者、作曲家でもあるレオ・ブローウェルの書いた「11月のある日」です。多分、ギター好きな方の間では有名な曲なのでしょうし、Ottavaでもたびたびオンエアされ、「新世界クラシック」というコンピレーションアルバムにも収録されています。私は、イギリスのギタリスト、グレアム・アンソニー・デヴァインの演奏する「ブローウェル ギター音楽作品集Vol.3」を買って聴きました。
この「11月のある日」という曲、冒頭のメランコリックな旋律は一度聴いたら忘れられないような親しげな美しさを秘めています。中間部では曲調が明るくなり憧れを求めるような眼差しを導き出しますが、やがて再び冒頭の旋律が淋しげに戻り、静かに曲が閉じられます。
それにしても、キューバの11月というとどんな季節なのでしょうか。日本の秋とは随分雰囲気は違うと思うのですが、この曲を聴いていると、確かに私の脳裏には赤や黄色に色づいた木々から葉っぱがハラハラと落ちてくるような、物悲しげでセンチメンタルな光景が浮かんできます。そして、「秋の空気」が体の中に広がって、心を鎮めてくれるのを感じます。とてもいい曲にめぐり会えて幸せに思います。
因みに、このデヴァインのブローウェル集の第3巻、他に、武満徹の追悼に書かれた「HIKA(悲歌)」、「アン・アイディア(エリのためのパッサカリア)」、そしてグァスタヴィーノの「悲しい歌」のギター編曲など、いずれもとても美しい作品が収録されており、私は繰り返し聴いて楽しんでいます。中でも「アン・アイティア」を好んでいます。
ギターの曲、私にとっては未開の地であり、ナクソスのギターコレクションは「宝の山」であるという噂を実感しつつあるので、これからもたくさん聴いていきたいと思っています。
なお、この曲は、前述の通り、Ottavaとの連動企画「新世界クラシック」というアルバムがビクターに収録されており、HMVの商品詳細ページから試聴できます。トラック11が「11月のある日」です。
<<新世界クラシック>>
→商品詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon)
(「ブローウェルギター音楽作品集Vol.3)
グレアム・アンソニー・デヴァイン(G) (Naxos)
→詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon/Naxos)
珠玉の小品というカテゴリーのエントリーが、最近Naxosのディスクに占領されています。理由は至って簡単、仕事をしながらネットラジオOttavaを聴いていて、気に入った「小品」が収められたNaxosのCDを買って聴いているからです。
そのおかげで、Naxosのディスクが増えたというだけでなく、Ottavaがフィーチャーしている中南米を中心としたラテン系の音楽を聴くことが多くなりました。アルゼンチンやブラジル、そしてスペインの音楽。すると、今まではほとんど見向きもしなかったギターの作品に関心が高くなってきて、何枚かCDを買い込んでは楽しんで聴いています。以前取り上げた「アルゼンチンのギター音楽」でのプホールの作品もそうです。
そして、今回取り上げるのは、キューバ出身のギタリストで指揮者、作曲家でもあるレオ・ブローウェルの書いた「11月のある日」です。多分、ギター好きな方の間では有名な曲なのでしょうし、Ottavaでもたびたびオンエアされ、「新世界クラシック」というコンピレーションアルバムにも収録されています。私は、イギリスのギタリスト、グレアム・アンソニー・デヴァインの演奏する「ブローウェル ギター音楽作品集Vol.3」を買って聴きました。
この「11月のある日」という曲、冒頭のメランコリックな旋律は一度聴いたら忘れられないような親しげな美しさを秘めています。中間部では曲調が明るくなり憧れを求めるような眼差しを導き出しますが、やがて再び冒頭の旋律が淋しげに戻り、静かに曲が閉じられます。
それにしても、キューバの11月というとどんな季節なのでしょうか。日本の秋とは随分雰囲気は違うと思うのですが、この曲を聴いていると、確かに私の脳裏には赤や黄色に色づいた木々から葉っぱがハラハラと落ちてくるような、物悲しげでセンチメンタルな光景が浮かんできます。そして、「秋の空気」が体の中に広がって、心を鎮めてくれるのを感じます。とてもいい曲にめぐり会えて幸せに思います。
因みに、このデヴァインのブローウェル集の第3巻、他に、武満徹の追悼に書かれた「HIKA(悲歌)」、「アン・アイディア(エリのためのパッサカリア)」、そしてグァスタヴィーノの「悲しい歌」のギター編曲など、いずれもとても美しい作品が収録されており、私は繰り返し聴いて楽しんでいます。中でも「アン・アイティア」を好んでいます。
ギターの曲、私にとっては未開の地であり、ナクソスのギターコレクションは「宝の山」であるという噂を実感しつつあるので、これからもたくさん聴いていきたいと思っています。
なお、この曲は、前述の通り、Ottavaとの連動企画「新世界クラシック」というアルバムがビクターに収録されており、HMVの商品詳細ページから試聴できます。トラック11が「11月のある日」です。
<<新世界クラシック>>
→商品詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon)
珠玉の小品 その17 〜 武満徹/映画「他人の顔」〜ワルツ
2008.10.02 Thursday
・武満徹/映画「他人の顔」からワルツ
(3つの映画音楽(1994/95)より)
マリン・オールソップ指揮ボーンマス交響楽団 (Naxos)
→詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon/Naxos)
いつだったか、ユーリ・バシュメットが別府アルゲリッチ音楽祭で来日して、アルゲリッチとのバルトークの協奏曲や、自身のヴィオラ独奏によるブラームスのクラリネット五重奏曲の弦楽オケ版を指揮した演奏会をテレビで見ました。ブラームスは彼のCDを愛聴していることもありとても楽しんだのですが、その時のアンコールが、短いけれどとてもお洒落で、そこはかとない哀愁を帯びた美しいワルツで強く印象に残りました。
それが、今回取り上げる曲で、武満徹が映画「他人の顔」につけた音楽の中から、1995年に自身で弦楽合奏に編曲した「ワルツ」でした。件の映画は、1966年公開で、安部公房の原作・脚本、勅使河原宏監督、仲代達也、京マチ子主演のものだそうです。上記Naxosのオールソップ盤の片山杜秀氏のいつもながらに秀逸な解説によれば、この曲は1920年代ベルリンを思わせるキャバレー・ソング風のワルツで、映画の中でドイツ語の歌詞をつけて歌われているとのこと。何でも「全体主義の再来の可能性に警鐘を鳴らした」映画で、主人公の医師の診察室でヒトラーの演説の録音が流れる、というような設定もあったりするそうなので、なるほど「ドイツ風」の音楽になっているという訳です。
とはいうものの、私はこれを聴いて、例えばシェーンベルクのキャバレー・ソングやワイルの音楽よりも、ハチャトゥリアンやショスタコーヴィチの「通俗」音楽と共通するような哀愁をたたえた響きからロシア圏の音楽を思い起こしたり、あるいは、ふわっと上昇して空を舞うような軽さを持った旋律から、プーランクの音楽や武満自身の音楽ルーツというシャンソンを連想したりしています。ドイツ語歌詞をつけて歌った演奏を聴けば印象も変わるのかもしれませんね。
でも、そんなことはどうでもいいのです。とにかく、ホロッとくるような美しい音楽に身を委ねるだけでとても幸せな気分になる音楽です。私の大好きな曲です。
武満の音楽というと、最近、彼の残した親しみやすい歌のCD(林美智子の「SONGS」)が出て話題になっていますが、「死んだ男の残したものは」「3月の歌」など私のような「甘党」でも大好きな曲が結構あって、類まれなるメロディーメーカーとしての武満の豊かな業績にもとても感謝したいと思っています。
そう言えば、この曲、バシュメットの指揮したディスクも出ています。きっとバシュメットもこの曲が好きなのでしょう。こだわるみたいですが、この曲、やはりロシア人の心の琴線にも触れる何かがあるのだろうなあと思います。
(3つの映画音楽(1994/95)より)
マリン・オールソップ指揮ボーンマス交響楽団 (Naxos)
→詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon/Naxos)
いつだったか、ユーリ・バシュメットが別府アルゲリッチ音楽祭で来日して、アルゲリッチとのバルトークの協奏曲や、自身のヴィオラ独奏によるブラームスのクラリネット五重奏曲の弦楽オケ版を指揮した演奏会をテレビで見ました。ブラームスは彼のCDを愛聴していることもありとても楽しんだのですが、その時のアンコールが、短いけれどとてもお洒落で、そこはかとない哀愁を帯びた美しいワルツで強く印象に残りました。
それが、今回取り上げる曲で、武満徹が映画「他人の顔」につけた音楽の中から、1995年に自身で弦楽合奏に編曲した「ワルツ」でした。件の映画は、1966年公開で、安部公房の原作・脚本、勅使河原宏監督、仲代達也、京マチ子主演のものだそうです。上記Naxosのオールソップ盤の片山杜秀氏のいつもながらに秀逸な解説によれば、この曲は1920年代ベルリンを思わせるキャバレー・ソング風のワルツで、映画の中でドイツ語の歌詞をつけて歌われているとのこと。何でも「全体主義の再来の可能性に警鐘を鳴らした」映画で、主人公の医師の診察室でヒトラーの演説の録音が流れる、というような設定もあったりするそうなので、なるほど「ドイツ風」の音楽になっているという訳です。
とはいうものの、私はこれを聴いて、例えばシェーンベルクのキャバレー・ソングやワイルの音楽よりも、ハチャトゥリアンやショスタコーヴィチの「通俗」音楽と共通するような哀愁をたたえた響きからロシア圏の音楽を思い起こしたり、あるいは、ふわっと上昇して空を舞うような軽さを持った旋律から、プーランクの音楽や武満自身の音楽ルーツというシャンソンを連想したりしています。ドイツ語歌詞をつけて歌った演奏を聴けば印象も変わるのかもしれませんね。
でも、そんなことはどうでもいいのです。とにかく、ホロッとくるような美しい音楽に身を委ねるだけでとても幸せな気分になる音楽です。私の大好きな曲です。
武満の音楽というと、最近、彼の残した親しみやすい歌のCD(林美智子の「SONGS」)が出て話題になっていますが、「死んだ男の残したものは」「3月の歌」など私のような「甘党」でも大好きな曲が結構あって、類まれなるメロディーメーカーとしての武満の豊かな業績にもとても感謝したいと思っています。
そう言えば、この曲、バシュメットの指揮したディスクも出ています。きっとバシュメットもこの曲が好きなのでしょう。こだわるみたいですが、この曲、やはりロシア人の心の琴線にも触れる何かがあるのだろうなあと思います。
珠玉の小品 その16 〜 C.シュターミッツ/チェロ協奏曲第1番 第2楽章
2008.08.23 Saturday
・C.シュターミッツ/チェロ協奏曲第1番ト長調〜第2楽章「ロマンス」
クリスティアン・ベンダ(Vc)/プラハ室内管弦楽団(Naxos)
→商品詳細ページはコチラ
最近、「珠玉の小品」と呼べるような音楽は、ネットラジオのOttavaを通じて知ることが多いのですが、今回とりあげるカール・シュターミッツ(1745-1801)のチェロ協奏曲第1番の第2楽章も例外ではありません。
夕映えの中、黄金色に黄昏ていく空を見ながら、沈みゆく太陽を見送り、迫り来る夜を迎えるとき、この曲を聴いていたいと思います。チェロが奏でる、平易で優しさに満ち溢れた歌が、疲れて凝り固まった心をあたたかくほぐしてくれるのが心地よいです。チェロの歌にぴったりと寄り添うオケの響きも惚れ惚れするくらいに美しい。神戸出身の私は、ふるさとの六甲山の夕景を思い浮かべながら、ちょっとオセンチな気分に浸りながら聴くことが多いです。
取り上げるのは例によってNaxosのディスクで、1993年とレーベル初期の録音ですが、ベンダのチェロ、プラハ室内管の伴奏ともにこの曲の美しさを十全に表現した素晴らしい演奏だと思います。そして、今回は第1番の第2楽章だけを取り上げましたが、全部で3曲あるチェロ協奏曲はどれも端整な古典的様式美の中に、のびやかで美しい歌がちりばめられた愛すべき曲ばかり。ハイドンの2曲と肩を並べるような名作なのではないかと私は思っています。
なお、こちらのサイトでこの曲を試聴することができます。Track2が第1番の第2楽章です。
クリスティアン・ベンダ(Vc)/プラハ室内管弦楽団(Naxos)
→商品詳細ページはコチラ
最近、「珠玉の小品」と呼べるような音楽は、ネットラジオのOttavaを通じて知ることが多いのですが、今回とりあげるカール・シュターミッツ(1745-1801)のチェロ協奏曲第1番の第2楽章も例外ではありません。
夕映えの中、黄金色に黄昏ていく空を見ながら、沈みゆく太陽を見送り、迫り来る夜を迎えるとき、この曲を聴いていたいと思います。チェロが奏でる、平易で優しさに満ち溢れた歌が、疲れて凝り固まった心をあたたかくほぐしてくれるのが心地よいです。チェロの歌にぴったりと寄り添うオケの響きも惚れ惚れするくらいに美しい。神戸出身の私は、ふるさとの六甲山の夕景を思い浮かべながら、ちょっとオセンチな気分に浸りながら聴くことが多いです。
取り上げるのは例によってNaxosのディスクで、1993年とレーベル初期の録音ですが、ベンダのチェロ、プラハ室内管の伴奏ともにこの曲の美しさを十全に表現した素晴らしい演奏だと思います。そして、今回は第1番の第2楽章だけを取り上げましたが、全部で3曲あるチェロ協奏曲はどれも端整な古典的様式美の中に、のびやかで美しい歌がちりばめられた愛すべき曲ばかり。ハイドンの2曲と肩を並べるような名作なのではないかと私は思っています。
なお、こちらのサイトでこの曲を試聴することができます。Track2が第1番の第2楽章です。